飛鳥時代に創建され、奈良平安時代に「西の高野山」とまでいわれるほど繁栄したという寺が、豊後大野の山上にあるという。
場所的には、昨年訪れた今市の石畳あたりを見た流れで立ち寄るべきお寺だったのだが、あのときはかなり時間が押していて立ち寄れず、今回の回収となった。
標高750mの山上にあるため、かなり山を登っていかなければならない。
天候が悪く、山頂は暗い雨雲に覆われているが、逆に山から見下ろすと下界は霞が掛かっているだけで一瞬の晴れ間が見えていた。
竹田市の岡城が見える。
岡城も前回立ち寄れなかったので、今回はぜひ寄っていきたい。
寺に到着。駐車場はかなり広い。
かつて「西の高野と呼ばれた」っていうようなシチュエーションは私は大好きだ。絶対落ちぶれているので、その落差が味わい深いのである。塔頭の跡地などが続いていればまだいいほうで、場合によっては普通の寺みたいにしか見えないこともあり、それもまた一興といえる。
神角寺も鎌倉時代の兵火で灰じんに帰し、室町時代に6坊が再興されたがそれも落ちぶれて、現在はその1坊だけが残っているという。
もしかしたらこの駐車場あたりもかつての寺の跡地なのかもしれない。
駐車場にRC造の八脚門の仁王門がある。鎌倉時代作と推定される木造仁王像があるらしいが、まったく見えなかった。
仁王門を潜って進むと、石造の賓頭盧尊者がいる。
参道は左に折れて、信徒休憩所の前を通って、2つ目の八脚門がある。
たぶん木造の仁王像はもともとこの門に置かれていたのが、文化財に指定されてRC造の第2仁王門に引っ越したのだろう。
現在に仁王門には石仏が置かれている。
右側には馬頭観音。
左側には大日如来。
大日如来の前には重軽地蔵がある。
また、通路には半鐘が下がっていた。
仁王門に半鐘を下げて鐘堂門にしている寺はこれまで何度か見たけれど、この寺には別途ちゃんとした鐘堂があるのに門にも半鐘が下がっているという初めてのケース。
鐘楼門を過ぎると本堂の観音堂がある。檜皮葺きで、唐様を中心とした折衷様式。
室町時代の建物とされ、国重文。
ただ、文化財として修復が著しいのであまり風雪は感じない。重文っぽい修復だなぁ、という感慨しかないのは私がひねくれているからか。
本堂の右側には鐘堂、その奥には大師堂がある。
鐘堂の横にあった弁天祠。
小さな三角形の池の中にある。
客殿から回廊が延びていて、庫裏につながっている。
庫裏。
大師堂の横から展望台への道があったので登ってみたが、雨雲に覆われてまったく何も見えなくなっていた。
雨が横殴りに降っていて、傘を差しているのにカメラまでびしゃびしゃになる状態。きょうはどうも観光には向かない日みたいだ。
境内に「おねがい大師」という石仏。
大師っていうくらいだし、真言宗の寺なので弘法大師かな。手には本物の筆を持っている。
祈願すると字が上手くなるとかそんな御利益でもあるのか。
同じく境内にあった薬師如来像。
右側は弘法大師、左側は不動明王かな。
(2012年03月23日訪問)
図解建築用語辞典
単行本 – 2013/12/1
建築用語辞典編集委員会 (編集)
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