菅平集落から下山して根利の村の中心部へ戻ってくる。
途中にあった総二階切妻民家。
初めから養蚕の生産拡大を重視した設計の民家で、年代はたぶん明治。
こちらは寄棟の茅葺き屋根に鉄板を被せたもの。奥側に強引に2階部分がある。実は主屋にも養蚕2階があり、2階から蚕具の出し入れをしやすくするために作った階段室かもしれない。
年代は江戸末期か明治初期ではないか。
奥に見える青い屋根も同じような造り。
本来1階建ての屋根裏を飼育室に改装したが、明かりもなく換気も悪いので、屋根を半分切って2階を付け足したのだろう。
こちらも年代は推定で江戸末期から明治初期。
瓦葺きの寄棟の養蚕農家もあった。
屋根の勾配がゆるいので、これは茅葺きからの改造ではなく、初めから瓦もしくは板葺きだっただろう。年代はおそらく明治。
この民家は群馬の他の地域の養蚕農家と異なる2つの特徴がある。
- 梁方向と桁方向にそれぞれバルコニーがある。
- 2階のバルコニーの送り出しが一般的な農家の2倍。
農家は一般に長方形の間取りの長手側に連続した開口部を持ち、短手側にはわずかな開口しか造らない。4面が開口だらけになると耐力壁が無くなり、耐震強度が落ちるからだ。
なのにこの家はかなり豪華にバルコニーを巡らせている。もしかして、島村の香月楼を視察して参考にした?
バルコニーの
2階の軒を見ると、垂木が「
こうした軒の出の深い養蚕農家を「せがい造り」と紹介している文章があるが、養蚕農家は踏み天井であり、バルコニー部分は取り付けた「腕木」ではなく、梁を延長したものだから、わざわざ別の言葉を使わず「
基本的にせがい造りの養蚕農家というのは存在しないと思っている。
これが一般的な出梁造りの軒の出。明治以降の養蚕農家の多くは切妻屋根だ。
屋根の軒を見ると、軒桁の上に垂木が載っていて、腕桁がない。
こちらは寄棟屋根で軒の出が深く、腕桁のある養蚕農家。
垂木が細かく、隅木の部分の納め方などはまるで寺院建築の軒をみているよう。裕福な家だったのだろう。
根利の町の中心地。宿屋や商店などがある。赤い屋根は旧根立商店。
1階建ての建物だが、妻側を切り上げて高窓を付けている。おそらく手前側が土間で、天井がなく屋根裏まで吹き抜けなのだろう。
2階はなさそうだが、兜造りの一種といえなくもない。
根利川の北岸にある住宅。
林業住宅?みたいなものか。あるいは営林署の宿舎?
10戸ほどの住宅が建ち並んでいる。
もしかして根利の民家で一番の見ものはここかも。
(2006年09月09日訪問)
