撫養町岡崎の町並み

かつての四国の玄関口だった。赤線跡。

(徳島県鳴門市撫養町岡崎二等道路東)

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撫養(むや)街道は、撫養町(現鳴門市)を起点として、県西の商都池田町まで吉野川北岸を東西に通じる古道だ。

きょうはまずその街道の東の起点、岡崎を訪ね、そこから撫養街道に沿って映画館の跡を探していく。

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鳴門市街地から文明橋で撫養川を渡ると、古い街道を思わせる町並みが続く。

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市街地側から来ると、街道は撫養城跡への登山口に突き当る。

その前にある激渋なうどん屋さんが気になる。

➡場所

「鳴門うどん」はいわゆる讃岐うどんとは異なり、柔らかくコシがないのが特徴。かつてこのあたりには一面に入浜式の塩田が広がっていた。そこで働く労働者の食事として、胃もたれせずすぐに消化できる柔らかいうどんが好まれたのがその起源。

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街道は左に折れ、撫養城のある城山を巻いていく。

岡崎港はこの先になる。

岡崎港は淡路島の福良から四国へ渡る船の着く港として長く繁栄してきた。港町であると同時に花街でもあり、岡崎だけで70人の芸者さんがいたという。

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岡崎の町並みは、重伝建の宿場町のような濃厚な古民家は少なく、なんのことはない住宅街だ。

だがここにはかつての赤線地帯で、そういわれてよく見れば、多くの家が道路に面して庭のない二階屋で、徳島の近代の花街の雰囲気を感じさせる街道ではある。

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古い銭湯の跡があった。

➡場所

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名前は朝潮湯。

かつて四国を出入りする人々やお遍路さんも利用したのかもしれない。

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料理屋か妓楼の跡か。

➡場所

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海岸線に面した土蔵の商家。2階に袖卯建がある。

船問屋的な商家だったのではないか。

➡場所

(2007年01月27日訪問)