県西部、貞光町に来た。きょう最後の小さな城の写真を撮るためである。貞光町はウダツを上げた商家が並ぶ古い町だが、きょうはそこには触れない。
写真の矢印のあたりを見てほしい。
町並みの景観から空を見上げるように視線を動かしていくと、ちょっと信じられないような場所に集落がある。これが徳島県西部の「ソラ」と呼ばれる村々だ。
ソラの集落のその名前の由来は「
私が徳島に移住してもっとも魅かれたのがこのソラの村々だ。
そして以前にここらの集落を巡ったときに、庭先に小さな城のある家を見た記憶があるのだ。
その記憶を頼りに、きょう3つ目の小さな城を捜す。
マチを離れ標高を上げていく。
かつては焼畑をした場所であり、その後、タバコ栽培で生計を立ててきたことは、点々と残るタバコ乾燥小屋を見ればわかる。(タバコ乾燥小屋については、いずれ『阿波國すきま漫遊記 第5話』で書こうと思う。)
現在は柑橘の栽培が盛んなようだ。それと、この風景を見て気付くのが「カヤ場」の存在。吉野川の南の急峻な村は三波川帯の地質に属していていて、いわば石の山だ。そのような場所で農業をするにはせっせと土を作っていかなくてはならない。そのためにススキ(=カヤ)などを育てて、圃場に並べて土留めにしたり、土にすき込んでいく。その作業がいまだに続けられていることがこの風景から見て取れる。これがソラの村々の農業の風景なのだ。
小さな城のある農家は、集落へ登るカーブの途中にあった。これなら見落とすことはないな。
背後の柑橘野段々畑を所有する大農家だ。
城は倉庫の横の狭い庭に建てられている。
オーナーのおとうさんがいらしたので話を聞く。
このお城を建てたのは10年くらい前で、左官業の従兄が建てたのだという。
モデルは大阪城。
うん! 言われなくてもわかるくらいにはよく再現されている!
従兄が建てたとはいえ、城の主になったら気分がいいものだそうだ。そうだろうなぁ。
中は空洞になっている。
オーナーのおとうさんは「中が空間じゃなきゃお殿さんがはいれんでな」と笑っていた。
でも附櫓は中からツタが伸びている。
きょう見てきた3つの城は、作者も作風も全く違うのに、いずれも本丸と附櫓の複合天守型。
城を作るときにイメージするのってやっぱり複合天守なのだろうか。
この農家は現在は椎茸栽培と柑橘栽培を主な作目にしている。その設備も見せてくれた。
中はかなり暖かくしてある。ビニールをめくると立派な原木椎茸が育っていた。椎茸を少し分けてくれた。
原木を浸水させる設備。
椎茸農家を見分ける特徴的な設備。浮かび上がらないように鉄パイプで押さえつけてある。
原木はクヌギで、ホダ木は年3回使い、3年くらい持つという。ホダ木を採るクヌギはだいたい10年で再び使えるようになるそうだ。
ミカン蔵も見せてくれた。
柑橘は収穫してすぐに出荷するのではなく、しばらく貯蔵することで甘みが増して品質が良くなるのだ。
おとうさんが生産しているのはポンカン。
ポンカンは生産が始まったころは黄色いダイヤと呼ばれとても儲かったがいまは生産農家が増えてきて値段も落ちてしまっているという。
30分くらいお邪魔して椎茸とポンカンのお土産もいただいた。ごちそうさまでした。
(2008年03月02日訪問)