鬼ケ島大洞窟

石切り場の遺構か。説明不足な観光地。

(香川県高松市女木町)

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8月12日、暑い日だった。

お盆休みに入ってからは避暑で山の川に泳ぎに行ったりして過ごしていたが、せっかくの連休なので普段できないことをしてみようと思い立った。

高松市の沖合いにある小さな島、女木島へ行ってみることにしたのだ。むかし話の『桃太郎』に登場する鬼ケ島は女木島だとされている。

女木島に行くのは初めて。小さな島とはいえ島に渡ってからの足がないと困るかと思い、カーフェリーで車を持っていくことにした。我ながら「富豪だな」と思う。

たぶん高松市民にとって女木島は海水浴場であって車で行くなど考えられない場所のはずだ。その便で車を載せているのは私だけ。ほかの人たちは水着に着替えて、膨らませた浮輪やビーチパラソルを持って乗船している・・・。車は高松港に置いて体ひとつで島に渡るのだ。

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私が車を持って行ったのは、女木島の山頂にある鬼ケ島大洞窟という観光施設を訪れるため。この暑さのなかで山頂まで歩くのは何としても避けたかった。

でも、現地に着いてからわかったことだが、港から大洞窟まではバスが運行していて、車を持っていく必要はまったくなかった。自家用車ならその待ち時間を自由にできるけれど、5千円以上のフェリー料金を払う価値があるかどうかはかなり微妙。

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でも、とにかく山頂まで車で上がることができた。

駐車場はさして広くなく、バスの転回所がメインであり、自家用車は邪魔にならないように隅に駐車するというありさま。

駐車場にさっそく鬼大仏がお出迎え。

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大洞窟への入口まではには茶店が続く。

いや~~~いいねぇ。この昭和感。

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これを見るだけでもここまで来てよかったと思うほどのうっとりする景観。

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お土産物も貝の標本の詰め合わせなど、しびれる内容。

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組み立て式のヒコーキがいいよね。

いつまでもこの茶店が続くことを願う。

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さて、茶店をすぎるといよいよ洞窟の入口。

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内部は400m、途中には「中の間、宝庫、大黒柱、鬼の力水、監禁室、真実の岩、亀の甲天井、鬼大将の部屋」などのビューポイントがあるらしい。

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入場料を払ってさっそく入場。

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内部は人工的に掘り抜いた洞窟だ。

これが何なのかというと、どうもよくわからない。石切り場の遺構かな。

観光案内によれば、古代遺跡的な? 紀元前からある謎の穴、鬼の住み家というようなことだけど、そのへんの雑な感じが、昭和で時間が止まっている。

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発見されたのは大正13年ということだが、どうにもこうにもねぇ。明治~大正くらいに採掘していたんじゃないか?

石は凝灰岩と思うが、坑道掘りするほどの価値があるのかよくわからない。でも豊島にも同じ石質の豊島石の坑道掘りの採石場があるようなので、そういうものなのかもしれない。

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もう、鬼が造ったとか古代遺跡とか言わなくても、採石場の遺構だという説明で良いんじゃない? そして正しい産業遺跡の案内板を付けても良いんじゃない?

いまの日本人って、たぶん坑道掘りの採石場に入れるってだけでお金払うと思うんだ。

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洞内にはけっこう人がいてにぎわっている。

お盆なので、一年で最も繁盛している時なのかもしれない。

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水がしみ出ていて天井に樋が付いている場所もあった。

これが鬼の力水かね?

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大黒柱?

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鬼の会議室?

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宝庫。

奥に宝箱が見える。

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まだまだ洞窟は続く。

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鬼の被害者たちの墓所。

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お墓というより神社のような感じ。

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監禁室。

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真実の岩。

もう何でもありだな。

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内部は一本道なのだけど、グニャグニャと曲がっていて、人が多くて写真が撮りにくく、途中で戻ったりしたのでちょっと順番がわからなくなった・・・。

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ノミの跡が残る天井。

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そもそもが『桃太郎』というむかし話自体が、実在の物語ではないので、鬼ケ島が具体的に存在していたわけではない。

中世の瀬戸内の海賊がモデルかというと、多少は影響があったかもしれないけれど、おそらく桃太郎の起源はもっとはるかに古い神話にさかのぼるのだろう。

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だが室町時代には現在の桃太郎の原型が出来上り、書籍として広まってしまったため、口承によるむかし話としての起源を調べることはでむずかしくなってしまった。

さらに富国強兵の時代には「海を渡って他国を攻め、宝物を持って帰る」というモチーフが国策と合致して、国定教科書にもなっていく。そのさまざまな思惑のなかで桃太郎はおとぎ話から伝説へと変質し、実在の舞台を主張するような勢力が現れる。

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それが現在、全国の各地にある鬼や鬼ケ島のモデルを生み出すわけだが、すべては戦前の思想のうねりと、昭和のデタラメな観光開発の氾濫のなかでおかしなことになったまま現代に至っている。

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ある意味では、この施設で見るべきものは「いまだに県のサイトまでがこの洞窟を古代遺跡だと案内し続けているという渾沌」なのではないだろうか。

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出口まで出てきた。入口と出口は別なのだ。

出口に「柱状節理」の文化財の看板があり、その前に数本の柱状節理が転がっていた。あとで知ったことだが、ここからさらに山を登ると、かなり立派な柱状節理の露頭があったようだ。

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広場で見かけた滑り台。

FRP製の波形滑降部と、開放デッキ型の徳島県でよく見かけるタイプ。

滑降部が壊れているのか、使用中止になっていた。

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山頂からの眺めを紹介していこう。

南側の斜面に大きな仏像が見えた。日蓮上人かな?

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女木島の南の半島部分。竜骨船を伏せたような特徴的な山地。

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北側に見える男木島(おぎじま)。女木島の半分くらいの面積の島だ。

女木島のフェリーでそのまま行くことができる。

いつか行くことがあるだろうか。

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東側に見える大島。ハンセン病の療養施設が作られた島。

定期便はないので、海上タクシーで行くしかなさそう。

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直島。美術館などで最近有名になっている。

白く見える建物がベネッセの施設かな。

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遠くに高松の市街地が見渡せる。

女木島と高松は本当に目と鼻の先という感じで、フェリーの乗船時間は15分ほどだ。

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女木島の東浦集落。

これから少し集落の中を歩いてみようと思う。

(2007年08月12日訪問)