となり村のパインカマー村へ。あいかわらず路面状況はいい。村は周囲の水田の広がる低地から少し高台になっている。
道ばたにシンプルな茶堂があった。
掘っ立て小屋だけど丁寧に出来ていて、仕事の合間におしゃべりをしたりするのに向いていそう。
水がめも置かれている。
村の中に大きな僧院があった。
奥のほうに金色の大きなパゴダが見えたので、寄っていくことにした。
僧院への参道は、学校の校庭を通っていく。けっこう大きな学校だ。
ミャンマーの学校制度は5・4・2で、小学校のみ義務教育。この学校はたぶん小学校と中学校が一緒になっているのではないかと思う。
お昼で、子どもたちが学校から出てきた。
学校の前には数軒の駄菓子屋みたいなお店が並んでいて、子どもたちが吸い込まれていく。もしかすると、お弁当を持ってこない子どもがお昼ご飯をこの店で食べるのかもしれない。実質的に校庭にお店が出ている状態で、これは田舎の学校でなければ見られない光景だと思う。
では僧院を見ていこう。
どういうわけか塀の外側にサブ僧房が建っていた。なぜ僧院の敷地の外側にあるのか。学校の寄宿舎を兼ねているのか、謎の配置だ。
山門からは屋根付きの廊下がメインの僧房まで続いていた。
山門には天部の神。
東司。
綺麗に塗られているし、屋根が層塔になっている。
メインの僧房は2階建てで、外階段で2階へ直接入るタイプ。
2階へ上がって、中を覗かせてもらった。
2階は
下屋部分には食器がたくさん片づけられている。
部屋の奥には仏像を納めた内陣があるが、ガラスドアで区切られていた。
天井は緩いモン様式。
僧房を裏側からみたところ。裏側に1間突き出ているのが内陣部分だ。
右側に取ってつけたようなRC造の部屋があり、屋根にパゴダが乗っていた。
敷地の奥のほうへ行ってみよう。金色のパゴダが見える。
中央の大きな建物は講堂、左の奥に見える小さな建物は得度堂。
パゴダは、インドブッダガヤの大菩提寺を模したもの。表面の装飾も細かくて、豪華なパゴダだ。
パゴダの手前にはパゴダ拝殿があった。
パゴダ拝殿の内部は、大小の仏像がとりとめもなく置かれていた。
パゴダの左側には仏殿。
内部には寝釈迦がいた。
ミャンマーでは寝釈迦は必ずしも涅槃仏を意味するのではない。単に寝ころんでいる仏陀という場合のほうが多い。一部ガイドブックなどに北向きの場合は涅槃仏であると書かれていることがあるが、たぶんそこまで厳密には決まっていない気がする・・・。
この寝釈迦は北枕だった。
講堂。
講堂の入口に写真が貼り出されていた。
ミャンマーってこういうビニールに印刷したものをよく見かける。安くできるのかな。日本だと会議でプロジェクターで説明するようなものをこうしたシートに印刷していることもある。
写真はたぶんこの僧院を建設したときの様子じゃないかな。赤いロンジーの人たちがたくさん写っているが、これはモン民族の民族衣装。
講堂の内部。
仏画がたくさん描かれていた。
鐘つき柱は、信徒が鐘を担いでいるデザイン。
立ち去るときに気付いたが、寺の総門は学校とは別の方向にあった。
(2019年07月18日訪問)
ビルマの耳飾り: 悲劇のインパール戦線 (光人社ノンフィクション文庫 165)
文庫 – 1997/6/1
武者 一雄 (著)
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