山間部を離れふたたび平野部へ戻ってきた。鹿野町である。最初の目的地、
町並み観光で観光客が来るというほどではないが、それなりに見どころはある。
幸盛寺はその町並みから狭い路地で引っ込んだところにあった。
幸盛寺の名前「幸盛」は、山中
山門は一間一戸鐘楼門、の鐘楼がなくなったスケスケの建物。当サイトでいう「透け楼」である。
透け楼は、楼門としては究極のプリミティブであるが、斜交いやターンバックルといった、仏教建築としては微妙な補強材が使われるのも特徴といっていいだろう。
山門を入るとすぐに無縁仏墓地がある。
その裏側に見える白壁は、あるがままの景観ではなく、修景だと思う。
山門は境内の横の位置になり、山門から本堂をのぞむと横面が見えることになる。
その左側にあるのはおそらく位牌堂だろう。
本堂。
本堂手前にみえる僧形の像は法然。ここは浄土宗の寺である。
本堂の右側には玄関と庫裏。
本堂の正面には三十三観音堂(写真左)と地蔵堂(写真右)。
本堂の左の墓地のあたりに大きな銀杏がある。銀杏は樹高34m、樹齢700年とも言われ確かにちょっと見たことがない巨木だ。
その銀杏の下に大きな五輪塔がある。これが山中鹿之介の墓かなと思って写真を撮ったがあとで調べてみたら鹿之介の墓はこれではなく墓地の中にあったようだ。
なお、鹿之介の墓所はこの寺以外にも何ヶ所かある。
よく知られる鹿之介の姿は三日月の前立ての鎧兜をかぶっていて、町内の鹿野学園小学部の校舎もその姿をモチーフにしている。
地元の誇りといったところなのだろうが、ちょっとやり過ぎ感はいなめない。
(2005年05月02日訪問)
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