三仏寺へとやってきた。国宝の
国宝の仏教建築というと、平等院の次くらいに思い浮かべてしまう超ハイレベルな国宝建築だ。当サイト始まって以来の最もすごい寺かもしれない。
その寺への入口は意外に地味。さっそく境内へ入ってみよう。拝観料は、本堂までが400円、その先の山上伽藍である投入堂方面はさらに200円が必要。
石段の両側に塔頭が並んでいて、本坊である三仏寺はその一番高い場所にある。
塔頭や本坊の紹介は後回しにして、まず投入堂エリアを紹介しよう。
だいたいの伽藍構成は下図のごとし。
本堂をすぎると、入山者の受付所がある。ここで入山届を記入して山上伽藍へと登っていく。
同行している弟は以前、出張かなにかのときに参詣してビジネスシューズだったため入山を断られた経緯があり、以前から恨み節を聞かされていたので緊張したが、今回は特にクレームを入れられることなく通過できた。
受付には入山に際しての注意が色々と書かれている。西国には山岳信仰の寺は他にもいくらもあり、そうした寺ではここまでガミガミ言われないし、ちょっと息苦しい感じだ。
でも仕方がないのかもしれない。私も基本的には物見遊山の観光客なのだが、世の中にはそれをさらに上回る迷惑客、団体の酔客なども訪れるであろうし、寺としては事故などを起されたくないのでどうしても厳しくなってしまうのだろう。
身支度だけでなく、天候や時間によっても入山の制限が発生し、基本的に寺がゲートを閉じれば投入堂へは登れない。確実に参詣したいならば天候と時間には注意したい。積雪があるときや雨天のときはあきらめたほうがいいし、入山可能時間は15時までなので余裕をもってスケジューリングしたい。
ゲートをすぎると宿入橋という橋があり、ここからが奥の院への登山路となる。
まず最初にあるのが、この末社風の十一面観音堂。野際稲荷という別名もあるようだ。江戸中期の建物で県文。
そこをすぎると、樹の根にすがりながら登る急斜面になる。
山自体は特に険しい山ではなく、適切な登山道があれば普通に登れるような場所なのだが、もともとが修行の場なのであえてこうして険しいルート取りをしているのだ。
その先にある文殊堂。
懸崖造りの堂で、堂の横は岩場の鎖場になっているのだが、どういうわけか写真のファイルが壊れて写っていなかった。
文殊堂は修復工事中だった。室町後期の建築とされ、国重文。屋根は杮葺き。
そこからさらに急な尾根の細道を登ると地蔵堂がある。
こちらも室町後期の建築で国重文。
文殊堂とよく似ていて、写真のタイムスタンプがなかったら、区別できないくらいだ。
こちらは工事中ではなかったので、じっくりと堪能できた。濡れ縁からは景観を楽しむことができる。
地滑り集落みたいなのが見える。
ここまで急な登りの連続だったので、休憩にちょうどよい場所だ。
そこからまた岩場を登ると鐘堂がある。
県重文。
ここから両側が落ち込むような尾根道が続く。
尾根道は大きな岩に突き当たるようになり、その岩を左のほうへ巻いていく。
そこにあるのが納経堂。
平安時代後期の建物とされていて、国重文。
小型の建築物だが国宝でいいのではないか。
続いて、岩陰にめり込むように建てられた観音堂がある。江戸前期の建物で県文。
どの堂も窓がない“はめ殺し"で内部は伺いしれない。
観音堂の横にある元結掛堂。こちらも江戸前期の建物で県文。
そこからさらに岩を巻いていくと、唐突に国宝の投入堂が視界に入ってくる。写真などで何度も見てきた建築だが実際に肉眼で見るのは違う。
感想は、
やっぱ、すげーな!
そして
小さっ!!
比較できる樹木などがないためわかりにくいが、5m四方くらいしかない小さな建築なのだ。かろうじて中に人間が入れるかどうかという感じ。
だが柱の面取の大きさや、屋根の軽快な反りなどはすごい。きびし目に見ても鎌倉時代は行くだろうという意匠の集合体だ。詳細な寺歴が残っていないらしいが、放射性同位体分析で平安末期の木材が使われていることが確認されている。
私たちがそこそこ古く感じる建物は明治より前のものがほとんどで、平成、昭和、大正、明治は約150年ある。木造建築を150年維持するのは虫食いや雨で腐った部材の交換などのメンテナンスが必要だから、江戸時代の建物が残っている場合はそれなりの理由がある。寺社や豪農など資金的なバックアップがあるケースがほとんどだろう。
その前の江戸時代は、学校の教科書のページ数などから長く続いた印象がある。その江戸時代は約260年つづいた。だから江戸時代より古い建物は貴重で、それだけで国重文の候補になりうる。
だが、その前の室町時代は江戸時代とほぼ同じ長さの約240年もあるのだ。したがって室町時代よりも古い木造建築が残っているというのは奇跡に近い。
そしてその前の鎌倉時代はさらに約150年間もある。投入堂のように、平安時代に造られた建築が残っているというのは、奇跡の中の奇跡だということがわかるだろう。
もちろん、何度も修理されてきているので、外観から見える木材はほとんどが後補のもので、せいぜい100年程度かもしれない。
建物は崖の岩陰に建てられていて、柱は礎石なしで岩のくぼみに載っているだけ。なんとも心細い。よく地震などで落ちなかったものだと思う。
あまりにも険しい場所にあるので、役行者が投げ入れたという伝説から「投入堂」と言われるが、本来は蔵王権現堂らしい。
その奥に小さく見えるは愛染堂。これも投入堂の一部途扱われていて国宝。
投入堂の右側には不動堂がある。これは江戸後期の建築で県文。
投入堂へは近づくことができないが、不動堂は近くまで登って参詣できる。
不動堂の近影。
宿入橋から投入堂までの所要時間は無理なく登って40分ほど。堂の見学時間を含め、往復には最低1時間半は必要だ。
メディアなどでは、登山路は難所として脅かすような取り上げかたが多いと思うが、正直そこまでの難所ではない。全国の鎖場のある奥の院などはもっとスリリングな場所がいくらもある。両手が自由になる身支度と、山登りに無理のない履物であれば、ほとんどの人は投入堂まで登ることができるだろう。
(2005年05月02日訪問)