松江市は城下町なので、寺町といって寺院を連ねた地割りが存在する。寺町は戦になったときに敵勢が移動しにくくする防壁の役割や、味方の軍勢が集結するための陣地などの機能を持っているとされる。松江城のメインの寺町は城の南側の中洲の歓楽街にあり、20軒ほどの寺社で形成されている。
だがよくよく見ると、城の西、北、南西などの町の出入口の街道付近の小山にも小さな寺の密集地がある。街道筋から侵入してくる敵勢に睨みをきかせる出城的な働きをもつ町なのだと思われる。
きょうは島根県の観光をはじめるまえに、まず城の北側にある小さな寺町を見ることにした。名前があるのかどうかはわからないが、通称「万寿寺通り」と呼ばれる場所である。
最初に訪れたのは、
狭い路地の奥まったところにあるが、広い墓地があり、墓参用の駐車場が十分な台数確保されているがありがたい。20~30台は置けるのではないか。
山門は薬医門だが、間口が広く、薬医門としてはかなり立派な部類だ。
門前には全体的にベージュ色の玉砂利に砂紋がきれいに付けられていてすがすがしい。
山門をくぐるとすぐ右側に東司と単層の鐘堂がある。
境内も玉砂利が敷き詰めてあり、雑草一本生えていない。
正面は本堂。
本堂の右側には玄関。
そのさらに右側には二階建ての庫裏。
仏教の庫裏建築ではなく、民家風で、外壁には下見板が張ってあるという造りだった。
本堂の左側にはまだ新しい建物がある。
こちらも二階建てで1階は五百羅漢堂、2階は位牌堂になっている。
五百羅漢堂の中。
中央の祭壇には回転する大数珠が掛かっていた。
羅漢は石仏で、明治中期に作られたものだという。
五百羅漢堂というと、いわゆるさざえ堂的な巡礼堂があるのかと期待してしまうところだが、このお堂はあまり複雑な構造ではなかった。コの字型には配置されているので、堂内を廻るように歩くようにはなっている。
石仏の数は厳密には数えなかったが、500体くらいはありそう。
2階は位牌堂になっているが、まだほとんど使われていない。
墓地のほうへ行ってみると、閼伽井屋があった。
祠内仏かな?と思わせる石塔。
地輪部分に「開山塔」と刻印されている。
あとあと調べてみると、桐岳寺には本堂の裏側に池泉式庭園があるようだ。墓地から裏のほうへ回り込んでみるべきだったか・・・。
墓地から南を見ると、次に向かうべき寺が見えた。
(2005年04月30日訪問)