月輪寺

石風呂を持つ古刹。

(山口県山口市徳地上村)

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徳地町へと移動。中国山地の奥まった山がちな場所である。僧重源(ちょうげん)が東大寺を再建するにあたって、その用材をこの地で集めたという言い伝えがあり、いまでも町おこしなどで町内の随所にその物語が使われている。

ここ月輪寺も、重源が用材の調査でこの地を訪れたとき古い仏像が荒れ寺に残されているのを見て、この寺の建立を発願したという伝説がある。

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伽藍配置図。本坊との距離感、本坊のサイズ感などがだいぶデフォルメされてはいるが、諸堂の形状は比較的正確だし、細かな堂までちゃんと再現されているのがうれしい。

この寺の目玉は、平安末期に重源が建てたという伝説がある本堂なのだが、私的にはなんといっても境内の最深部に表記されている「石風呂と御大師」である。

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駐車場に車を停め、まず本堂のほうへと向かおう。

駐車場の脇には井戸がある。水を飲める感じではなく、花壇への水やりなどに使える程度ではないか。

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そこから短い石段を昇ったところに楼門が見えてくる。

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茅葺き屋根に複雑な形状の銅板をかぶせて葺いた門で、2階は鐘楼になっている。

遠目には3間1戸に見えるが、実際には1間1戸の門の内側にに添え柱があるというような構造だ。

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楼門の手前の左側には厄除け観音堂がある。

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鐘楼門を裏側からみたところ。不思議な形の箕甲は、もともと入母屋造りに近い茅葺きを覆ったためではないかと思う。

2階の鐘楼部分には登れるのがうれしい。

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楼門を過ぎると、右側に子安観音堂。

先ほどの厄除け観音堂と同じく、1間四方の小さな堂だが、こうした小さな堂でもお寺の堂宇の数を重視する私としては歓迎である。

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さらに、子安観音堂の横に、石州瓦葺きの集会所っぽい建物がある。

この建物だが、伽藍配置図によれば「通夜堂(つやどう)」となっている。通夜堂とは国語辞典的な説明では祈願のためにお(こも)りをする堂のことである。当サイトでは、これまでもお籠りをするための建物を紹介してきたが「籠り堂」という名称で説明しており通夜堂という用語は使ってこなかった。

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当サイトでは籠り堂と通夜堂は、次のように勝手に区別している。

  • 籠り堂 = 寺の僧や修行者、信徒、地域の講などの特定の構成員(◦◦◦◦◦◦)が、深夜までもしくは徹夜で祈願をするための建物。
  • 通夜堂 = 巡礼者や他地域から参詣など不特定の来訪者(◦◦◦◦◦◦)が、休憩したり宿泊したりするための便宜を目的とした建物。

その観点からすれば、これは籠り堂のような気もするのだが、せっかくの伽藍配置図の説明なのでそれを尊重して通夜堂としておこう。

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そしてその先には、国重文の薬師堂がある。

この堂は、僧重源の発願で建てられたとされ、江戸末期に書かれた寺伝によれば平安時代末期の建物なのだそうだ。もしそれが事実であれば、山口県最古の建築物であり、国宝でいいのではないか。

見た目には木割りも太く、それなりに古風だが、たぶん外から見える部分は近代の補修であり、ほとんどが昭和の時代。そして古風といっても、平安まで行くのかは微妙な感じがする。

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内部を覗いて見ると、堂内は二重の構造になっていて、外廊下が取り巻いている。文化財の調査報告書によると、創建当時はこの内陣部分の3間×2間の堂だったのが、補修によって廊下部分が増築され5間×4間になったとされている。

解体したときのホゾ跡などを実検したわけではないから私は根拠のない感覚しか持てないのだが、どうもその説は不自然なように感じてしまう。

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柱に直接貫を差し込んであるあたりは、ほのかに天竺様(鎌倉初期)のような部分もあるが、素人目には部材の風化具合などは平安末期までの年代があるようには見えないのだ。建物全体では行っても室町時代程度ではないか。

そもそも木造建築の寿命はせいぜい50~100年程度。過去にさかのぼってみると明治維新まで約150年、江戸時代が約260年あるので、残存する木造建築物としては江戸初期でも非常に限られる。その前の室町時代は約240年あるから、鎌倉時代までいくにはさらに江戸時代とまるまる同じだけの時間を超えることになる。平安末期となるとそこから明治~平成と同じ約150年もさかのぼる必要があり、木造建築にとっては平安末期は途方もなく古い時代なのだ。

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内陣には薄暗いなかに四天王像が見える。

これらは平安末期の像とされていて、たぶんそうなのだろう。

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それなりに経年の様子が見て取れる。

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厨子には秘仏の薬師如来像が祀られているちおう。ご開帳は20年に一度。

厨子自体は、室町時代のもの。

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本堂の前にはコンパクトなおみくじの自販機があった。

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本堂の裏のほうへいくと、石風呂がある。

山口の石風呂は、重源が東大寺再建のための調査に来た際に作り方を伝えたとされる伝説のものが多い。

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お堂が付属しているので、伽藍配置図によればこれが御大師堂なのだろう。

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石風呂は建物の内部にある。

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形は土饅頭型。近年は使われていない様子だが、文化財として復元したようなものではなく、実用に供するために作られたものだとわかる。

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横には囲炉裏と休憩所があった。

休憩所は畳敷き。風呂上がりにここでお茶を飲んだり会食したりしたのだろう。

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最後に本坊のほうへ行ってみよう。

本坊は駐車場からは反対方向にあるが、歩いてすぐだ。

建物は茅葺きにトタンをかぶせたような造り。

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本坊のまえには釘貫門がある。その先の曲がり屋のような屋根は玄関。

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本坊の左側、石州瓦の建物は伽藍配置図によれば位牌堂。

月輪寺はお堂が多いだけでなく、本坊と本堂が分離していたり、石風呂もあったりと、お寺好きには満足度の高いお寺だ。

(2003年09月04日訪問)