2003年の少し遅い夏休み。岩国市へ来ている。
岩国は、もともと去年の広島の旅の後半で目指していた場所だったが、いまにして思えばあまり下調べもしていなかったので、今回へ持ち越しでよかったのではないかとも思う。
まず最初に訪れたのは錦帯橋。朝が苦手な私は、昨夜のうちに徳島を出て宇高フェリーで仮眠、そのまま山口を目指したので、朝のうちに錦帯橋に到着していた。
錦帯橋は日本三奇橋のひとつといわれている。日本三大○○には2つまでが確実で、残りの1つは諸説あるというパターンが多いが、三奇橋も例外ではない。
山梨県の猿橋、山口県の錦帯橋、残りのひとつは富山県の愛本橋といわれていたが、愛本橋は昭和に流失したとき全く構造の異なる鉄橋に架け変わったため、現在は三番目は徳島県のかずら橋、もしくは、栃木県の神橋とも言われている。
橋のたもとにはたくさんの土産物屋や、元旅館が並んでいる。
多くは木造三階の建物で、橋だけでなくこの町並みも見ものだ。
平日なのとまだ朝のためあまり人通りはないが、お土産物屋はすでに営業していた。
錦帯橋せんべいという、カーブした焼き菓子が名物のようだ。
橋から近い、木造三階の旅館。
その旅館の前から河原へ降りられる。
錦帯橋は5間の橋で、両岸から1間ぶんは木造の橋脚がある通常の反り橋。中央の3間が木造アーチ橋である。
アーチ部分のスパンは35mあり、木造のアーチとしてはかなり大規模なものではないかと思う。日本三奇橋と呼ばれるものは、どうやら大スパンを苦労して架構したところが選定基準であり、「奇妙な橋」という意味ではないようだ。
錦帯橋は、増水時に流されないようにするために大スパンを採用したと書かれているものが多いが、増水に強いのはどちらかといえば橋脚の築造技術によるところが大きいような気がする。
アーチは確かに構造上強いが、木材が最も強みを発揮するのは引っ張りなので、大スパンに最適なのはトラス構造と言えると思う。だが日本の大工たちは木材をラーメン構造として使い、トラスを生み出すことはできなかった。三奇橋の構造を見ていると「美しいけれど苦しいなぁ」と思ってしまう。
橋脚には基礎が洗われないように敷石をしたり、石が崩れないようなくさびなどの工夫がされていた。その技術が実はこの橋のすごいところなのではないだろうか。
なお、現在の橋脚は昭和の再建時に鉄筋コンクリート製となり、表面に石が貼り付けてあるだけである。
川の水はかなりきれいだった。
両岸1間ぶんの橋脚。
石と木を接いである。鳥居などでこういう構造を見ることがある。
橋を下から見上げたところ。
錦帯橋が最初に作られたのは江戸初期だが、その後も定期的に掛け替えられていて、平成の掛け替えは2001年から始まっていて、私が訪れたときは半分以上が新しい木材で掛け替えられた後だった。
屋根もなく水気の多い場所で使う木造構造物だから、何百年も同じ材木で維持することは到底不可能だというのは理解しているつもりだが、本音を言うと、ちょっとがっかりな感じ。
鋼鉄のワイヤーが使われているかずら橋ほどじゃないけれど・・・。
橋を渡った先の山頂には岩国城が見える。
いわゆる復興天守である。つまり史実と異なる建築物で、町のシンボル的なもの。遠くから眺めるのがよいだろう。
特に登らなかったが、ロープウエイで尾根まで登ることができる。
(2003年09月03日訪問)
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