あるときミャンマー人のSNSで、見慣れない鍾乳洞へ行っている自撮り写真を見かけた。しかも洞窟だけでなく周囲の風景も写っていたことから、そこがモゥクディ山の北麓ではないかと推理した。
きょうはそれを確かめに来たのだ。
南方面からアクセスする場合、モゥクディ山東麓の細道を通ると寺の裏口へ出る。それでは紹介の順序としておかしいので、まず寺の正門まで出てみることにした。
寺があるのはナゥントキン村。写真の山並みはモゥクディ山の北の端になる。
寺の入口には小さな木造橋がある。
つまりこの橋を通行しないとパアプゥ村方面への近道へは行けないのだ。通行できるのはせいぜいオートバイまでで、四輪車や三輪タクシーはこの道を通ることはできない。
橋床はスノコ状のチーク材。
橋げたが高くしてあるので、この川は舟運の舟が乗り入れるのだろう。
境内に入ると、吹き放ちの講堂のような建物があった。ときどき、このような吹き放ちのお堂を見かける。
壁のある講堂と何か違いがあるのかないのか、まだ不明。
講堂の内部はこんな感じ。
寺の境内は河畔にあり、小さな岬のような地形になっている。サルウィン川は奥に流れているが、数万年という単位では、岬を突端に手前側を流れたこともあるのではないか。
その岬にパゴダがある。
パゴダの周りはよく整備され、ブーゲンビリアが美しさを添えていた。
パゴダの横にあるお堂。
二重の扉によってガードされている。こうしたガードのしかたは他の寺の得度堂で見かけたことがある。
アコーディオンシャッターなので中は丸見えだ。大きな仏像などはなく、お坊さんがごろ寝するゴザが敷かれているだけだ。
いままで得度堂の内部はほとんど見たことがないのだが、これが得度堂なのだろうか? それとも単にお坊さんが詰めるお堂なのか・・・
ミャンマーのお寺はわかるようでまだわからないことが多い。
パゴダのまわりは白いタイル敷きになっているので、裸足で歩いても熱くない。
岬の突端部分にはムチャリンダ仏があり、周りにはプルメリアの樹が植えられている。
仏像の後ろに看板があるのは、おそらく川を行く舟に向けたものだろう。
頭が3つある象アイラーヴァタに乗ったタイ風の仏陀。
シンウーパゴ。めずらしい左向き。
さて、これからいよいよ鍾乳洞があると思われる山へ登る。
境内から石段が作られているので迷うことはない。
托鉢行列仏がある。
これがあったら、とりあえず行列の終わりまでたどるのが鉄則!!
どんどん登っていく。
これは絶対この先に鍾乳洞があるにちがいない。
登りきったところに、触地印の仏陀がいた。
その裏側に洞口が開いている。
さっそく入洞してみよう。
あれ? 意外に浅い。
外から見えていたところだけしか入れない。
あえて潜り込もうとすれば入れそうな支洞はあるが、人が入っている様子はなかった。
これはミャンマー人のSNSで見た洞窟とは違う。
そういえば、途中に山道の分岐があったな。
今度は分岐を登り返すことに。
途中にはシンティワリがあった。釈迦の弟子のひとりである。手にうちわを持っているのが特徴。
しばらく登ると洞口があった。
どうやら入口は人工的にひろげてあるようだ。配線もされていることからこれで間違いないだろう。
配線はされているとはいえ電灯は点いておらず真っ暗。当然、私以外の参詣者はいない。
懐中電灯で進んでいく。
空間は狭いが、石筍やフローストーンなどの二次生成物が豊富だ。
鍾乳石の隙間という隙間に仏像が並べられている。
これは洞窟寺院としてはかなりハイレベルだ。
狭い通路もある。
最深部は小さな仏像がぞんざいな感じに並べられていた。
過去七仏か。
奥行きを感じさせるすばらしいレイアウト。
なんとなくまだ奥がありそうな支洞。
最初に見た浅い同口とつながっているかもしれない。
100mもない鍾乳洞だったが、鍾乳石は豊富で満足感が高い洞窟寺院だった。
パアンからの交通は不便で、オートバイの二人乗りタクシーならパアプゥ山方面から近道できるが、三輪タクシー以上の車となるとワボドゥ村経由となるのでかなり距離がある。
いっそのこと渡し舟を借り切って寺まで直接乗りつけるのがよいのではないかと思う。浜辺があるので船でも参詣できそう。
(2016年12月18日訪問)
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