鶴山八幡宮

拝殿と本殿の石の間が長い。

(岡山県津山市山北)

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地蔵院の北隣りにある神社、鶴山八幡宮。

もともとは鶴山(現津山城)にあったのがこちらに遷座したものだという。

この神社の鳥居にも、例の扁額の屋根が越屋根のようになった造りが見られる。

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鳥居を入ったところにある末社の稲荷大明神。

末社なのに水盤舎が付属し、独立した小さな神社のようになっている。

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社殿は切妻妻入りというあまり見かけないタイプ。

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そこから短い石段があり、石段を登り切ったところに神門の薬医門がある。

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境内に入ると正面に拝殿。

右側に渡り廊下がある。

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その渡り廊下の先は社務所になっている。

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本殿は中山造り。写真では伝わりにくいが、非常に大きな迫力のある建物だ。

江戸初期の建立で1669年に修理されたとされ国重文。軒には斗栱があり深さは三手先。尾垂木や木鼻が龍や麒麟になっているのは、さらに下った時代の改修ではなかという気がする。全体的な姿は美しいが、まあ正直なところ龍の彫り物などはあまり品がよいとは思えない。

透垣の中に見える小さな建物は、神饌所。神さまに捧げる食べ物を調理するための社殿。

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ところで、この神社の文化財の案内板を読むと「本殿、拝殿、釣殿、神饌所からなり…」とある。気になるのが「釣殿(つりどの)」という語である。例によってさまざまなblogがこの案内板をコピペして、当然のように「釣殿」とい書いているが、個人的には非常にひっかかる言葉だ。

現実の建物を見る限り、釣殿とは拝殿の後ろにある廊下のような部分を言っているのではないかと思われる。この構造物は当サイトでは「(いし)()」あるいは「(あい)()」と呼んでいる。

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もしあえて「石の間」以外の視点で表現すれば「幣殿(へいでん)」あるいは「渡殿(わたどの)」と言えなくもない。

「石の間」が本殿と拝殿の間の空間に屋根が付いたものを意味するのに対して、「幣殿」は供物を捧げるための部屋という意味合いの言葉だ。拝殿の背後に凸型に飛び出した空間に供物を置くことが多いことから、その部分を幣殿と呼ぶことはよくある。(当サイトでは完全に独立した建物の場合のみ幣殿とし、拝殿の後ろの凸部は拝殿の一部とみなしているが。)

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もうひとつの「渡殿」は、有り体に言えば「渡り廊下」である。たとえばこの神社で拝殿と社務所を結んでいる構造物こそが渡殿と言っていいものだと思う。でもまあこの写真のように長細い廊下状の構造物は渡殿でもいいように思われる。

この「渡殿」という言葉であるが、住居建築である寝殿(しんでん)造りの要素を表わす言葉にもある。そして寝殿造りには「釣殿」という言葉もある。釣殿は池にせり出した部屋であり、神社とは関係のない用語だ。

もしかして、案内板にある「釣殿」という言葉は、「渡殿」と書こうとしたものを寝殿造りでの連想から「釣殿」と誤記してしまったものなのではないだろうか。

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本殿の裏側にある末社。

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裏側の末社その2。

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裏側の末社その3。

薬祖神社。末社のうち、これだけが県重文に指定されている。

(2003年04月29日訪問)