丹後丘陵を貫流し、津山市を東西に分ける宮川。東寺町めぐりはこの宮川まででおしまいになる。
その岸辺に、新しそうな寺の屋根が見えた。
寺の名は慈恩寺。
建物はみな新しいのだが、それ以前にいろいろと伝統的な寺の設計から微妙に外れている。鉄骨造で作られているというのもあるのだが、設計者が屋根の設計だけがんばったあと、壁面の部分で踏ん張りきれなかった?という感じ。
中央には楼門、その奥が本堂になっている。
楼門の金剛力士像。阿形。
吽形。
木製のきちんとした像だ。
楼門の右側には、研修道場とされる建物。
右側には観音堂。
開口部が少なく、異様な外観だ。
観音堂に入ってみた。
思ったより中が広い!
内部には巨大な十一面観音が収められていた。
案内によれば、この観音像は大正6年に作られたもので、樹齢2,000年の木曽檜を使った一木造りだという。一木造りとは、仏像をパーツごとに作るのではなく一本の材木から掘出す手法である。
像高は4.6mあり、大仏としてもかなり立派な部類だ。
通常の寺院建築では小屋となっている部分が完全に空洞で、高さ3階ぶんくらいの吹き抜けになっているのであった。
そのためお堂を外から見た印象よりもずっと巨大な空間が確保されている。
周りの四天王も一木造りで、像高3mという立派なもの。
そして、この観音堂でもっとも重要な要素が、これ。
二階から拝めるようになっているのである。
私がもっとも好きなタイプの大仏殿なのである。
このように二階席を設けることで、お顔をより近くに見て拝むことができるというすばらしい施設である。
転落の危険などがあるせいか二階に登れない大仏殿が多いなか、ここでは誰でも二階に登ることができる。ありがたいことだ。本当にありがたいことだ。
二階席から心ゆくまで参拝しよう。
このように広々とした二階席があると、これは逆にこの二階が本来のレベルであり、仏像が掘り込んだ穴の中にあるようにも見えてくる。
この慈恩寺の宗派は単立だが、天台宗の伽藍には仏像が参拝者の立つ床よりも掘り込んだ地下のような場所に置かれる形式が存在する。
この観音堂は、そうした効果も狙った設計になっているのかもしれない。
続いて、本堂の裏手へ回り込んでみる。
裏山にも少し伽藍があるようなのだ。
本堂の裏には小さな池があった。
池の中に祀られているのは、岳仙陀尊者(?)。
そこから、石段が続いている。
途中に門があったが、開いていたのでさらに登ってみる。
途中には水子地蔵と思われる石地蔵が並んでいた。
少し登ったところに護摩堂があった。
この護摩堂は懸崖造りになっている。
護摩堂の奥に鳥居が見えた。
その鳥居の先には鎮守社の日吉山宮があった。
このような、上に合掌のようなものが付いている鳥居を
二階建ての大仏殿といい、このうっそうとした奥の院方面の雰囲気といい、印象深い寺であった。
(2003年04月29日訪問)