タトンの町を GoogleMaps で見ると、市域は長方形で、条里制の都市のように見える。9世紀~11世紀にかけて繁栄したタトン王朝の都市国家のなごりである。
ミャンマーの他の王朝のあった都市、マンダレーやバゴーなどの航空写真では王宮の跡は堀で囲まれていて明確にわかるが、タトンの王宮の場所ははっきりとはわからない。だがおそらく下写真の①の場所ではないかと思われる。その場所はいまは人家や畑がある程度で、王城の遺跡のようなものはなさそうだ。
写真を見てもうひとつ気になるものがある。②地点にある大きな池と中島だ。これもタトン王朝時代の離宮かなにかの跡ではないか。遺構でもあるかも知れないと思い、行ってみることにした。
それは池というよりは、堀という印象のものだった。
航空写真では浮草に覆われていて陸地のように見える部分も明確に水域で、堀の幅は30mくらいだろうか。
周囲には道があり、一周することができる。
堀の周りを走ってみた。
堀の南側のほうに橋懸かりがあり、お寺らしきものがあった。
門が開いているので入ってみる。
橋を渡ってゆくと僧房があり、その先に船の形をした講堂があった。
扁額がかかっていて「リーズーディパージョゥンドーヤー」とある。「4人の仏陀の寺院」というような意味らしい。
船の中に入ってみた。
講堂と思われるが、何もない。
ごろ寝している寺男か、ただの市民か。
ミャンマーの寺って、ごろ寝してる男をよく見るなあ。きょう一日だけでも1人や2人どころではなく見かけた。
気持ちよさそう・・・。
船の屋形の部分には祭壇があった。
ガラスケースの中には、シンウーパゴ。
顔の向きはわかりにくいが、右向き。
これまで見てきたシンウーパゴは、右向きが多い。
橋はさらに続いている。
その先には広場があった。
ステージが作られているので、お祭りをすることがあるのだろう。
この寺と広場は池の中にある小さな島であり、もしこの地形が離宮の跡だとしても、離宮の建物があったのはここではないだろうと思う。
このお寺から見て北側のほうに、50m×200mくらいの島があるので、その場所が遺構だろう。
お寺から出て、さらに堀の周りを走ってみた。
堀は堅固で、中島へは容易には近づけない。
西側に一箇所だけ橋があり、その先に建物が見えた。
レストランかビアガーデンのようだが、営業はしていなそうだ。
堀の周りには巨木が多い。この堀が歴史ある地形であることを物語っているようだ。
樹の高い枝には夕日が差して、一日の終りを告げている。そろそろ帰路につかなくては。
(2015年11月28日訪問)
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