レイスゥ通りの機業場

ドビー織機でロンジー用の布を織る機屋。

(ミャンマーマンダレー管区アマラプラ)

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撚糸工場のとなりに機屋さんがあるのを、通訳さんが見つけてきた。

玄関にはブーゲンビリアが咲き、工場は奥のほうに引っ込んでいるので、車で通ったくらいでは見つけられないだろう。

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中を見学させてもらえることになった。

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この工場はオール力織機(りきしょっき)で、その風情からか観光コースには載っていないようだった。でもそういう工場のほうが興味深く見学できる。「観光」というお膳立てされたものは長い時代を越えて保存されるが、リアルな「産業」はそのときにしか見ることができないからだ。

発展途上国が工業化する過程では、手工業や軽工業を経て、そのあとに重工業や精密工業へと変わってゆく。ミャンマーはまだ手工業や軽工業の時代であり、その花形は繊維産業なのだ。

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かつては日本でも町中に織物工場があり、普段使いの布を製造していた。その役割は完全に中国に移り、いまこのような安価な布を織る工場は日本国内には存在しにくいと思う。

だが日本から消えた工場の機械がミャンマーに輸出され、現役で稼働しているのだ。

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フレームには「SAKAMOTO」、コーションプレートには「ENSHU」と書かれている。

日本のエンシュウ株式会社が製造した織機ではないかと思われる。

単純なチェック柄の木綿生地を織っていた。

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動力は先ほど見た撚糸工場と同様に、床下のプーリーから供給されていた。

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ドビー織機があった。

ドビー織機とは、「紋板(もんいた)」というパンチカードの一種を使って、複数の綜絖(そうこう)を自動的に上げ下げして模様を描く力織機である。

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コーションプレートにはミャンマー語があったが、おそらく元々は輸入した織機だろう。

フレームには「NNN MAN」の文字があった。

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これが紋板。キャタピラーのように回転しながら、綜絖を制御する。

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綜絖の枚数が少ないので、柄は小さいパターンの繰り返ししか織れないのだろう。ヨコ糸は入れ替えず、タテ糸の上げ下げで模様を作る。そのためタテ糸の色が模様となって現れ、かつ、縦方向には1色しか使えない。

シュエシンタイ機業場のつづれ織りでは、ヨコ糸の色が模様となって現れ、横方向に複数の色が使えるため、より複雑な模様を描くことができた。もちろん手間は大違いだが。

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おそらくロンジーの生地になるのではないか。

(2015年05月06日訪問)

歴史物語ミャンマー 下

単行本 – 2011/11/1
山口 洋一 (著)

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