ティヨラウ村の漁村風景

サルウィンに面したのどかな漁村。

(ミャンマーカレン州パアン)

ペヤゴンジョゥンダイパゴダへの道をさらに先に進むと、サルウィン川の河畔にある小さな村へと至る。

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この道はどこへも通じておらず、村の先で行き止まりになっている。また GoogleMaps の航空写真で、この村には目ぼしい寺などもないことは確認済みだ。それでもあえて行き止まりまで行ってみた。

何かを見るためにそこに行くのではなく、そこに行ってからあったものを見る、というブラブラ観光のほうが、実はいい思い出になることが多いのだ。

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外国人旅行者がふらりとやってくる場所ではないため、村人の視線も集めがち。でも視線が合ったら「ハーィ」って感じで笑顔で挨拶すれば、だいたい問題はない。

道路はコンクリで舗装されていて、道幅は十分。田舎の道としては上等な部類だ。村の家々はすべてこの道の両側に接していているので、日本の宿場町のように、村は細長い形をしている。

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サルウィン川の川面が見えたので、岸辺まで行ってみる。

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河辺にあった質素なトイレ。

私もミャンマー滞在中、これに近いようなトイレを何度か使ったことがある。

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広大なサルウィン川の川面。対岸の右の方に見える大きな山塊は、前回の訪緬で訪れたコーゴン洞窟寺の山だ。

左手にも小さな岩山が3つ見える。いつかはあそこにも行ってみたいものだ。

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サルウィン川は 全長2,400 kmにおよぶ大河だが、その岸辺はあまりにあっけない。家の裏がすぐ川岸になっている。これでは増水すれば、田畑はいとも簡単に水に沈むだろう。

現代の日本の大河川は、家の屋根より高い堤防で囲まれている。以前、徳島県の吉野川沿いをいろいろと訪ねたとき、昔は堤防がなかったという話を何度も聞いた。そのときはなかなかイメージできなかったが、数十年前まで日本の大河川もこんな風景だったのではないか。

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いかだで造られた舟着き場。

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舟の持ち主の家族と思われる男達が流木を荷揚げしていた。

流木は泥水で濡れている。上流から流れてきて、浮かんでいたものを集めてきたのだと思う。自家用の薪にするのではないか。

川面での薪集め。それは最近まで日本にもあった。大水などの際に川に漂流する流木を舟で集めたり、海岸に漂着するものを集める入会権もあったのである。

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舟の形はドゥインセイッ村で見かけたのとちょっと違うようだ。

ドゥインセイッ村の舟は平底で、舳先から乗り降りするタイプだったが、左に見える青いボートは竜骨のような構造がある。

ドンタミ川とサルウィン川では水深が違うからだろうか。

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さらに村内を歩いてみると、(うけ)を造っている家があった。

声をかけて作っているところを見せてもらった。

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「ウケ」とは、水に沈めて魚やエビなどを捕獲するワナである。以前に住んでいた徳島県では「モジ」とも言っていた。

直径は50cmほどはあろうか。大きなウケである。ウナギ程度では竹かごのすきまから逃げ出してしまいそう。獲物はニゴイのような大きな魚だろう。

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竹を裂いて器用に組み立てていく。

この家がウケ販売店なのか、自家用なのかは、言葉が通じないのでわからなかった。

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魚の入口。

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ウケを造るための道具。

竹べらのようなものがたくさんあった。カゴの目の間隔を一定にするためだろうか。

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この家の庭の片隅には、ナッの祠があった。

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ちょうど日本の屋敷神のような感じ。

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バナナ問屋か。

おそらく舟で運ばれてきたのか、これから舟で出荷するところなのだろう。

(2014年07月27日訪問)