ズェガビン山脈の南端に山脈を横断できる峠道がある。西麓のドンイン村から、東麓のナンロン村へ抜ける、ラインカァ峠である。
タイ国境からヤンゴンへ向かうAH1号線は現在パアン市街を経由しているが、実はそのルートは遠回りであり、最短はナンロン(နောင်လုံ)村からこのラインカァ峠を通って、サルウィン・パアン橋を目指すルートである。おそらく15km程度はショートカットができるはずだ。
この峠よりも南を迂回しようとすると、湿地や湿田が広がっており、大型車両が通れる道がない。つまりこの峠道は実は軍事的には要衝なのである。
そのため、つい最近まで続いたミャンマーの内戦時にはこの峠の領有をめぐって、政府軍側とKNLA(カレン民族解放軍)とのあいだで戦闘が繰り広げられたという。
2012年以後パアン市周辺はおおむね平和な状態ではあるが、市街から遠くないところにかつての戦場がある。
それは、たいてい広々としたゴム農園とか低木が繁る荒地のような場所である。弾痕だらけの廃虚があるとか、焼け焦げた装甲車が路肩に転がっているというような、見るからに戦場、という場所ではないのだ。
こうしたバナナ園のような場所でも戦闘は行われたようだ。
この左手に続く雑木林など、かつては地雷仕掛けられていた可能性もある。こんな場所が戦場なのである。
地雷は完全に除去されているかどうかは知らない。とにかく、怪しい場所には近づかないに越したことはない。
この柵の中なんて、絶対入りたくない。
ラインカァ峠は岩山を削った狭い切り通しになっている。第二次大戦中に日本軍が開削したという。
もしかしたら将来、この峠をもう一回開削して4車線のAH1号線バイパスを造るときが来るかもしれない。
その切り通しのすぐ近くに、青色に塗られた祠があったので立ち寄ってみた。
気味が悪いので、ワダチの上以外は歩かないようにしながら・・・。
おそらくナッ神の祠だと思う。
ロウソクがともされていた。
近くには採石所があって働いている人たちもいるので、そういう人たちがロウソクを上げているのだろうか。
この祠の特徴は外壁が青く塗られているというだけでなく、全体的に花などの模様が描かれていることだ。
一見、稚拙な落書きのようにも見えるが、同様の線画を他の村でも見たので、伝統的な模様の可能性もある。
あるいは、インド系の住民が描いたランゴリという模様か。
右側の祠の内部。
植木鉢から花が伸びているような図案が多い。ロウソクがともっている床部分には花びらのような図案。
左側の祠の内部。
鳥、あるいは、帆掛け舟のような図案が描かれている。ロウソクがともされているところには菱型を組み合わせた図案。
これは水がめを入れる祠だと思う。
献花台?
献花台に花の絵。
ヒンドゥ教の法具みたいなのが飾られている。
道路まではまたワダチの上を歩きながら戻ろう。
峠を抜けた、ラインカァ村側の風景。
どうということはない風景なのだが、この道を通るときはどうしても少し緊張してしまう。
というのもラインカァ村側には KNLA の検問所があるのだ。こうした検問所には自動小銃を持った民兵がいてトラックなどを止めて通行料を取っているようだ。
ほとんどの料金所ではオートバイは無料で通行できるので、私は視線を合わせないようにしてさっと通りすぎることにしている。
ミャンマーでは町や村の道路の補修のため通行料を徴収する公に認められた料金所があるが、これはそれとは違うんじゃないかと思う。土嚢が積まれていたり竹垣があったりするのが、どうにも剣呑な雰囲気なのだ。
KNLAは停戦はしているが、この峠だけは実効支配しておきたいということなんじゃないかな。
山道を抜け里の人家が見えてくると少しほっとする。
(2014年07月06日訪問)