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シュエターリャウン寝釈迦のすぐ南の敷地にミャッタリャウ寝釈迦という別の寝釈迦がある。2000年にシュエターリャウン寝釈迦を訪れたときのことはもう詳細には思い出せないのだが、この寝釈迦はなかったのではないだろうか。あればさすがに記憶に残ると思うのだが。
シュエターリャウン寝釈迦のすぐ隣にあるのに、ほとんど参詣している人がいないのも謎である。
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この寝釈迦とシュエターリャウン寝釈迦は兄弟で、こちらが少し大きく、お兄さんなのだという。
頭の向きは東向き。したがってこれも涅槃仏ではなく、横になって教えを説いている姿ということになる。
右手で頭を支える姿は、シュエターリャウンとは違っているので、きっと何か意味があるのだろう。
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境内は北側に講堂がある。
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講堂の内部。
床は雨が吹き込んだのか、水洗いした後だったのか、びちゃびちゃに塗れていた。裸足で歩くと、土の足跡がついてしまうのが気が引ける。
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講堂の前にある石柱、タコンタイ。
てっぺんにはヒンダーという鳥が乗っている。この鳥はモン族のシンボルである。シュエターリャウンの寝釈迦もモン族の王が作ったとされている。
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講堂の中から北側を見たところ。シュエターリャウン寝釈迦の大仏殿との間には池があり、
ここからでは確認できないが、こうしたお堂にはシンウーパゴという僧が、斜め上を見上げた姿の像が祀られているケースが多い。
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本坊。
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茂みの中に、象の像があった。どうしてこういうものを作るんだろうか。楽しくなるから?
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水がめと休憩所。
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では、いよいよ寝釈迦の基壇に上がってゆこう。ここから履物を脱げばよいだろう。
ちなみにこの寝釈迦、ほとんど観光客は来ないので、入場料などはない。
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とてもシャープな造形で、ミャンマー仏にはめずらしい肌色の仏陀だ。
目ぢからがすごいんですけど・・・。
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背後に真っ黒な雨雲がせまってきており、すぐにひと雨来そうだが、ひとまわりしてみよう。
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大仏を独り占め状態だ。
頭の側から見たところ。
仏陀の寝ている下には、波のような造形がある。水面に浮いているという表現なのだろうか。
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頭の裏側から見たところ。
鉄筋があるのは、いずれここに柱を立てて、屋根を作る計画なのだろう。
日本人的な感覚からすれば、この大仏は屋根を掛けずにこのままにしたほうがいいように思う。
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足首のあたりには、メンテ用と思われる入口がある。
映画『ビルマの竪琴』で、水島上等兵が僧侶になってしまったあと、部隊の戦友たちと邂逅する場面で、水島は寝釈迦の内部に隠れて中から鍵を締めている。
この寝釈迦ではその映画さながら、内部に入ることができそうだ。
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足のほうから見たところ。
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足の裏の千輻輪もなかなかに迫力がある。
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やはり、足の裏面はそろっておらず、やや斜めになっていた。
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寝釈迦の南側には、仏像がいくつか入ったお堂が見えたのだが、地面の上を歩かなければならないので足が痛そうだし、すでに雨が降り出していたので近くまでは行かなかった。
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四阿などもある。境内でくつろいでくれ、という計らいだろう。
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寝釈迦の西側には池があり、浮御堂にコブラ光背の仏像があった。
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境内で見かけた神像。
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こちらは色違い。
ミャンマーで神像というと天部の神、通称梵天像が多いように思うが、これらはちょっと着衣が違うみたいだ。
何なのだろう。
(2014年06月21日訪問)