ウィンセントーヤの寝釈迦を見たあと、ムドンから 30 km ほど南に行ったところにある、タンビュザヤという町へ向かった。
ここは、太平洋戦争中に日本軍がタイからミャンマーまで建設した「
向かったのはその町にある戦没者合同墓地。
タンビュザヤの町は左写真の三差路ロータリーを中心に、三方向に広がっている。
戦没者合同墓地は、ロータリーから北西に1kmほど行ったところにある。
戦没者合同墓地のすぐ前は、タンビュザヤ駅。
墓地は周囲が柵で囲まれており、中央のゲートからしか出入りできない。
このゲートや墓地の敷地には、ミャンマーではめずらしくゴミが落ちていない。とつぜん、別の国にいるような錯覚を覚える。
ゲートの中には記帳コーナーと、墓石の案内板があった。
職場の人たちが「Japan」を探してくれたのだが、見つからない。見つかるはずもないのだ、ここは連合国軍の合同墓地なのだから。
職場の人に「連合国と日本は戦っていたのだら、ここにはお墓はないはずだよ」となんとか説明した。
どうもタンビュザヤには「ジャパンパヤー(=日本寺)」という寺院があるらしく、そこと勘違いしたようだ。
墓石は国ごとにエリアが分かれて並んでいた。
日本人もミャンマーでは膨大な戦死者を出している。日本軍が戦時中にビルマで行なった行為の是非は別として、命令に従って死んでいった末端の兵士の命には違いがないというのに、戦勝国側だけがこうして祭祀されているのは複雑な気持ちだ。
墓地内には立ち入らなかった。
合同墓地の前は駅前広場といった感じの広場になっていて、ごく最近イベントが行われたようで、テント等を片づけている最中だった。
(2014年02月08日訪問)
観光コースでないミャンマー(ビルマ) (観光コースでないシリーズ)
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宇田 有三 (著)
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