造石法華経供養遺跡の東側では天引川という川が鏑川に落ち込んで深い谷を作っている。ここは予備知識なしで見ても「昔の城跡じゃないか?」と思うような地形だ。事実ここには小棚城という城があったという。いまは小棚という字の農家を中心とした集落になっているが、この集落で城下町観光ができるので紹介しておこう。
城下町というと、武家屋敷であったり、格子戸の続く町家のイメージが思い浮かぶ。端的な例では飛騨高山のようなところが一般人の城下町のイメージかもしれない。しかし、ここ小棚城のような中世の城跡となると建物は残ってはいない。時代が古すぎることと、城があった期間が短かったことがその理由だ。しかし、そうした古い城の周囲にも、ときとして城下町の雰囲気がわずかに感じられる場合があるのだ。その雰囲気を心の眼でとらえて観光することを、当サイトでは心眼観光と呼んでいる。
この小棚城下は、“心眼"城下町観光としては、比較的やりやすい部類だと思う。
たとえば左写真の道路は、町内を見通せないようにわざと道をクランク状にずらす「
集落の北側は鏑川の崖になっていて、そこから集落へ入るためには、この掘割のような道を通るしかない。
その途中には「
ここに木戸でもあれば、崖の上や橋上から矢を射かけることができるだろうし、平時でも町へ出入りする者に対するプレッシャーとなったことだろう。そんな想像ができる地割だ。
城裏橋上から、掘割を見下ろしたところ。
特徴的なのは、掘割の道から橋へ上がる小道や階段がなく、橋上に出るには町内を大回りをしなければ行けないようになっていることだ。
こうした作りは城のなわばりそのものだ。
町内から城裏橋を見たところ。
橋の部分は少し路面が高くなっている。
橋下に4mの高さを確保するために土盛りしたのだろうか。
鏑川にかかる橋から眺める西上州の山並みも、もう夕闇に溶け込みつつあった。
この日の飼育所めぐりはおしまいである。
9月にしては暑い日だった。
(2008年09月20日訪問)