君川集落の3つめの稚蚕飼育所。君川西郷の飼育所からここまで1kmほどしか離れていないので、500 m ごとに飼育所がある計算だ。
この規模の飼育所がフル稼働したら240箱の稚蚕が飼育できる。君川下郷の農家の戸数からすると、1軒で20箱近くを飼育したと思われる。ちなみに現在の群馬県の養蚕農家の平均は5箱くらいだ。1箱の頭数が当時と違うので現在の5箱は当時の7箱くらいなのだが、養蚕の盛んだったころの規模感がわかるだろう。
飼育所へ入る道はやや狭く、配蚕時に軽トラで乗り付けるのには適していなかったと思う。
その道の反対側は、大きな2階建ての蚕室をかまえる農家。
遠目に見た外観は越屋根を載せた古いタイプの造り。この造りは土室電床育に多いのだが、壁面を見るとモルタルで塗られていることから、内部はブロック電床育の可能性が高い。シャッターは後補のものだ。
このように、屋根や小屋の部分が古い形態で、飼育室がブロック電床育の飼育所は、過渡的な時代の建築だったのか、それとも土室からブロック室に改装されたものなのかまだ確証がない。いつか確認しなければ。
宿直室の側に回ってみた。
入口が二つあり、奥の側は炊事場の入口。
手前が飼育作業者の入口のようだった。いまは集会所になっているが、まだ飼育所時代の看板が残されている。
炊事場と飼育所の入口がわざわざ分かれているのは、初めて見たかもしれない。
炊事場の入口から中をのぞいてみた。
ガスレンジではなくカマドがあることから、年代的にはかなり古いと言っていいだろう。
炊事場の北側にはトイレがある。建物の内部からは利用できず、いったん、外に出てからトイレに入るようになっている。
昭和30年代の飼育所の特徴といっていいかもしれない。
飼育室をのぞいてみた。ブロック電床育で片側4室、合計8室で、小屋は和小屋。
気になるのは屋根裏や垂木の材木にの経年劣化に比べて、柱と梁の材木がやけに新しそうに見えることだ。室の桁の上に束(地面に届いていない柱)が載っていることから、土室の柱を残してブロック室に変えたとは考えにくい。もしかして、屋根のところだけが古い建物のままで、柱と梁を入れ替えたのだろうか・・・? はたして、そんな木工事が可能なのだろうか。
もしそんな木工事が可能なのであれば、この飼育所は、土室で作られて途中でブロック室に改装されたと見立てることができるのだが。
小屋を見上げると、越屋根の換気窓を開け閉めするためのヒモが、複雑に取り回されている。
(2008年09月20日訪問)