碓氷安中農協稚蚕人口飼料飼育所

群馬県最大の稚蚕飼育所の設備の全容を見学した。

(群馬県安中市原市)

これまでの飼育所巡りの旅の途中で、いずれ人工飼料育を見てみたいと書いたが、碓氷安中農協のはからいで春蚕の掃き立てを見学できることになった。

飼育所巡りを始めてから3年が経っていた。

始めのころにくらべれば、私も稚蚕飼育について詳しくなっていたが、それでもなお実際に稼働している施設を見なければイメージできないことも多かった。カイコの飼い方というミクロな情報はわりとあるが、稚蚕飼育所がどのように運用されているかという俯瞰的で実際的な情報は少ない。そこで、このレポートでは単に掃き立ての様子だけでなく、飼育以外の部分にもスポットを当てて、複数ページ構成で紹介しようと思う。

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左の図は、碓氷安中農漁業協同組合稚蚕人工飼料飼育所のだいたいの間取り図(拡大図)。竣工は昭和57年3月、総工費は2.5億。鉄骨造で建坪は1,600㎡。

このページで説明するのはピンク色の部分。作業者が飼育場に入るための消毒のための区画、休憩、洗濯などの副次的な活動をするためのエリアである。この部分の使いかたを理解することは、おそらく、これから飼育所の遺構を見るときにもかなり役に立つだろうと思う。

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これが飼育所の外観。名前が書いてなかったら工場にしか見えない。右手の緑色のカーテンのドアが作業者の入口になる。右手の屋根の低い部分を管理棟、屋根の高い部分を飼育棟と呼ぶ。

当日は招かれた時間に遅刻した(到着がぎりぎりになってしまった)ため、作業者はもう消毒をすませて中で準備に入っていた。

言い訳をするわけではないのだが、見学させてもらうお礼に手土産に酒まんじゅうを買って向かったのだが、途中で洋菓子に買い直していて遅くなってしまったのだ。

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と言うのも、稚蚕は菌に弱く、麹(こうじ)によって病気になることがある。酒まんじゅうは加熱処理されているとはいえ製造に麹を使う。作業者がお茶や菓子を食べるであろう休憩室は、減菌区画の中にあるというのを聞いていたので、酒まんじゅうは縁起が悪いかもしれないと思い当たったのだ。稚蚕飼育所で働く人は、その期間は味噌の製造にはかかわれないし、朝食に納豆を食べることもできないくらい気を使っているのである。

左写真は作業者入口。タイムレコーダーがある。

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入口を入ると、まず事務所、宿直室、トイレがある。宿直室は休憩と宿泊のための部屋だけで、風呂やシャワーはない。

ここはまだ消毒をせずに立ち入れるエリアで、飼育棟の外である。このように飼育と関係のなさそうな部分の情報が、私にとっては飼育所というパズルを組み上げるときの最後のピースになるのだ。

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廊下を少し進むと消毒のための部屋がある。ここには3つの部屋が連なっている。左写真の手前の木製タイル床の部分が最初の部屋で、ここで服を脱いでロッカーに入れる。足下も裸足になる。

男性と女性はそれぞれ別ルートで消毒室に入るのだが、部屋は女性のほうが広く作られている。稚蚕飼育に携わるのはむかしもいまも女性が中心だからだ。

当然、私も服を脱いで下着だけになって先に進む。

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2部屋めのシャワー室。シャワーは3つあった。

ここには消毒液が用意されていて、手と足を消毒する。

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3部屋めの着衣室。ここで上下の作業着と長靴を身に付ける。作業着は基本的に作業者ごとに1着が決まっていて、洗濯された清潔な状態でこの部屋に準備されている。

この日は、見学者である私の分まで作業着と長靴を用意していただいた。これまで廃虚となった飼育所で白衣掛けのフックを何度も見てきた。それを実際に使うのは感慨深いものだ。

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着衣室から出てきたところ。ここまでで1次の消毒が終わって、減菌区画に入る。

減菌区画にもまたトイレがあり、基本的には作業者はここから外に出ずに半日活動する。

休憩室もこの区画にあり、昼食の食べ物も休憩室には持ち込むことができる。

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続いて、飼育室へ向かう廊下へ進む。廊下の入口にさらに消毒する場所がある。

ここでは再び手を消毒し、消毒槽で長靴の底も消毒する。

ここからは作業者は私物を持ち込むことはできず、体一つで入室しなければならない。この通路の先に飼育室があるのだ。

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廊下を進んだ先、間取り図で「飼育前室」と書かれている廊下の様子。ここは飼料や資材を一時的に置いたり、洗浄した飼育用具などを乾燥させたりする場所になっている。

右側のドアの中が給餌の作業をする作業室。左側のドアは配蚕口でドアの外は外界だ。このドアは稚蚕飼育の最終日にカイコを出荷するときに開放する。飼育室1つにつき2つの配蚕口がある。2種類以上の品種のカイコを出荷するとき、配送のトラックが間違えて荷積みしないようにするためではないかと思われる。

このあと、飼育室で給餌の様子を見せてもらったのだが、その作業は次のページで説明することにして、1日の作業が終わったあとの様子を紹介しよう。

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ここは、研修休憩室と呼ばれている部屋。

14人掛けられるのテーブルが1セット用意されていて、ここで作業者がお昼を食べたり、説明を受けたりできるようになっていた。

この飼育所の全盛期には3室の飼育室があった。いまは1室しか稼働していない。1室につき14人の作業者+監督者が必要ということなので、全盛期には45人が飼育所内で働いたことになるが、食事や休憩時間はずらしていたそうだ。

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飼育作業が終わって、全員で休憩しているところ。

お茶を飲みながらしばしの歓談。こうした風景が以前は群馬県中の飼育所で見られたはずだ。

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この日は、飼育の初日だったので、今後の計画を立てる。全員が毎日出勤できるわけではないので、出勤日と洗濯当番を決めていく。

農協の担当の方は「こんなところも見学するの?」とおっしゃっていたが、仕事の段取りは飼育所を理解する上でいちばん知りたいところなのだ。

桑の葉で稚蚕を育てていた時代は、1日3回の給桑が必要で早朝から夕方まで給餌作業が必要だったが、人工飼料は桑の葉よりも鮮度が保つので、1日1回の給桑作業ですむようになり、作業時間も少なくなった。左下写真は黒板に貼られていたスケジュール表だ。(拡大)

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  • 掃立(はきたて):孵化した幼虫に最初の給餌をする作業。
  • 拡座(かくざ):カイコの成長にあわせて、飼育面積を拡げる作業。塗り箸を使う。
  • 台紙抜き:蚕種(さんしゅ)(卵)は台紙に張り付けて送られてくる。給餌後にその台紙を蚕座から取り除く作業。
  • 作業休み:カイコが脱皮の準備に入り、餌を食べない期間。食べ残した餌を乾燥させる必要があるが、人の作業は必要ない。
  • 掃き込み:早く脱皮が終わり動き回ってしまったカイコを羽ぼうきなどで均一にならす。
  • オーガン散布:カイコが蚕座の外に這い出ないように、蚕座の外周に薬品を散布する。
  • 頭数調査:何頭のカイコが出荷できるまでに育ったか、あるいは病気で死んだかを数える。1枚の蚕座のカイコを塗り箸でつまみながら、全頭を人間が数える抜き取り検査。
  • 配蚕(はいさん):カイコを農家に向けて出荷する。90cm角のトレーに、1.5万頭(0.5箱)ずつ入れて農家に出荷する。
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1日の最後に、当番になった人がその日に使った作業着を洗濯する。

作業着は乾燥室に吊るして、その日はそのまま帰宅。洗濯当番の人は、翌日すこし早めに出勤して、予備の洗濯済み作業着を着て減菌エリアに入り、乾燥の終わった作業着を着衣室に運んでおく。

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乾燥室の中の様子。

こうした部分を見せてもらえたのは、本当にありがたかった。

洗濯ひとつをとってみても、日本の養蚕の歴史で稚蚕飼育が最後に行きついた、最終的なワークフローの一部であり、貴重な記録になったと思う。

(2010年05月10日訪問)