碓氷川を南に渡って、妙義山の山麓方面に移動。 中木稚蚕共同飼育所はもう上屋は存在せず、地下室の入口だけが残っていた。 地下通路状になっているようなので、貯桑室までの動線は長かったのではないだろうか。 (2008年05月03日訪問)