碓氷製糸農業協同組合。現在国内に残る製糸工場で最大の工場だ。「製糸」と言っても、わかったようなわからないような言葉なので、碓氷製糸のポジションを理解するうえで製糸について説明しておく。まず基本的なことだが、「製糸」とは繭から糸を作ることを言う。羊毛や綿花から糸を作ることは製糸とは言わないので注意が必要だ。
繭から糸を作る方法は大きく分けると、3通りある。
- カイコが糸を吐いたのと逆の向きに繭をほぐして繭糸を取り出す。それを複数本引き揃えて糸にする。この糸を「
生糸 」という。 - 繭からいったん
真綿 (=繭を茹でてやわらかくしたワタ)を作り、真綿から複数の繊維をからめ捕るように引っ張り出して糸にする。この糸を「紬糸 」という。 - 生糸製造過程で出た繭の残りの薄皮やくず繭を溶かして細切れにしてから、機械で
撚 りながらつないで長い糸にする。この糸を「絹紡糸 」という。
「製糸」とは厳密には (1) の製造工程のことを言う。ちなみに、(2)の製造工程は「
そして製糸にはさらに種類がある。
- 品質の高い繭だけを使って、均質な糸を大規模な機械で繰糸する「機械製糸」。機械製糸でとった糸は、品質が安定しているからその後の製品化もすべて機械で行なえる“工業的にみて高品質"な糸だ。大量生産ができ、戦前の日本の輸出産業の花形だった。
- 手工業的な工房が機械を導入して工場化した「
国用 製糸」。かつては全国にたくさんの工場があり、単純な構造の繰糸機で、国内用の生糸を作っていた。現代では実質的には機械製糸の小規模なものである。 - 均一な糸ではなく、ところどころに糸が太くなる箇所「
節 」を入れた「玉糸 」を、動力機械で作っていた「玉糸製糸」。原料に必要な「玉繭」が入手しにくくなっており、現代では専業の玉糸製糸工場は残っていない。 - 動力機械を使わずに、人間の手によって生糸を取り出す「
座繰 製糸」。群馬の座繰は家内制手工業で、組合などによって組織化されていた。現代では、カスタムメイドの手工芸的な製品として取引される。
この分類でいうと碓氷製糸は「機械製糸」になる。つまり生糸産業のメインストリームだ。いまは操業していない富岡製糸所も機械製糸だった。
2010年現在、機械製糸は国内では碓氷製糸と山形県の松岡製糸が残るだけ。国用製糸は長野県に宮坂製糸、松沢製糸があり、一般には製糸会社は4社といわれている。実際には、この4社以外に糸作りや機織りを生業としている小規模な製糸所が全国には数ヶ所あるし、町おこしなどで採算の関係ない(=補助金が出る3年間しか存続しない)小規模な製糸所はかなりあると思われる。
しかし何はともあれ、いまや碓氷製糸は日本に残った最後の本格的な製糸工場であり、自給率0.5%といわれる国産生糸にとって最後の砦なのだ。
ちょっと前振りが長くなってしまったが、その碓氷製糸に立ち寄ってみた。
場所は松井田市街がある河岸段丘の下段で、碓氷川の河原に近い場所。製糸では大量のお湯を使うため、水の確保がしやすい川の近くに作られたのだろう。
碓氷製糸は平日に人数がそろえば見学ができるらしいのだが、この日は休日で人数も2人なので、外から見るだけとなった。だが、いずれここはちゃんと申し込んで見学したいと思っている。
外から見えるシャッターの付いた建物は荷受所。農協から袋詰めで運ばれてくる繭を受け取って計量する場所だと思われる。なにぶん、ここからはほとんど想像で書くことになるので、ちょっと違っていることがあるかもしれないので注意していただきたい。
荷受所が2階にあるのは、その後の乾繭という工程の関係だろう。
荷受所の後ろにある、換気塔のついた赤い屋根の建物は乾繭所であろう。農家から送られてきた繭はまだ生きていて、そのまま置いておけば蛾が穴を開けて出てきてしまう。そこで、繰糸するまでのあいだ保管できるように、熱風で乾燥させて殺蛹しなければならない。この工程を「
聞くところでは碓氷製糸の乾繭機は多段バンド式という方式とのこと。これは幾層にもなった網状のベルトコンベアの上を繭が移動しながら乾燥する大型機械で、投入口は2階、取出口は1階にあるはずだ。
後ろに見える青い壁の腰折れ屋根の建物は、乾繭を保存しておく倉庫だろう。
乾繭所の左側に見える、換気塔のない赤い屋根の建物がは揚げ返し場であろう。その奥に繰糸場がある。普通の人が製糸工場と聞いて想像するビジュアルは繰糸機や揚返機と呼ばれる機械で、これらの建物の中にあるはずだ。
乾繭倉庫から送られてきた繭はここで不良品をはじく作業(選繭)を行い、そのあと繭は煮繭機、索緒機、繰糸機、副蚕処理機と、ベルトコンベア式に移動していく。このあたりの詳細は、ぜひ見学したい部分だ。
入口の横にある建物は事務所兼、社員寮。いまでも寮に使われているのだろうか。
製糸工場といえば女の園。かつて大きな製糸工場があった町では、若い女性目当てに近隣の男たちが遊びに来たため飲食店なども栄え、商業的に活気にみちていた。
松井田の町を歩いたら、そういう面影が見つかるかも知れない。
構内にある蚕霊供養碑。
製糸工場に繭が届くときにはまだ中のカイコは生きている。乾繭の工程ですべて殺されるわけだから、供養も必要なのだろう。
駐車場の片隅に消防ポンプ車が置かれていた。
後日、郷土史研究家のグループと一緒に、製糸場内部を見学できた。その時のレポートはこちらへ
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