西組稚蚕共同飼育所

3齢配蚕を前提とした設計のブロック電床育飼育所。

(群馬県安中市野殿)

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野殿北にある西組稚蚕共同飼育所。

安中市野殿(のどの)は、東横野台地の東端の地域で、現在でも養蚕農家が多く残っている場所だ。

「野殿」の一部である「野殿北」だけでこの時点で5戸の農家が養蚕を続けているそうだから、かなり養蚕農家の密度が高い字だといっていいだろう。

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もちろん「地域による稚蚕共同飼育」はもう遠い昔の話で、現在この地域の稚蚕はJA安中の大規模稚蚕飼育施設から配蚕されている。

西組稚蚕飼育所は隣の農家に引き取られ倉庫として使われていたので、農家にお願いして中を見せてもらった。

配蚕口は北側。東側に消毒槽が残っていた。

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西側は道路に面していて、地下の貯桑室には道路から桑を搬入できた。

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貯桑室内部の様子。

梁はコンクリートでしっかりしている。

古い飼育所では、地下室の床が抜けているところもいくつか見てきたが、ここはその心配はなく、倉庫として安心して使えるだろう。

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奥に階段が見える。

この階段で挫桑場に桑を運び上げたのだ。

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北側の配蚕口。

奥に見えるのはトイレと、更衣室への入口。

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トイレはもう壊れていた。

その先に屋根が抜けている部分は、用具などが置かれた倉庫だったと思われる。

奥に見える扉から先が飼育所への出入口で、更衣室になっていたはずだ。

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内部はブロック電床育の室が2室×2列で4室。

室の扉は引き違い戸で、1室について4枚。

室の内部の棚は3列だったので、戸板が4枚というのはうまく割り切れず、使いにくかったのではないか。

天井があり、採光はないので、電気を消したら真っ暗になりそう。

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内部は電床線も床砂も当時のまま残っていた。

内部を加湿するために電床線の上から砂に水をかけたそうだ。漏電はしない造りになっているそうだ。

棚が塩ビパイプで作られているのがわかる。これは、蚕座がスチール製の時代の室の特徴ではないかと思っている。

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温度調節装置。

上は50℃まで設定できる。他の農産物の乾燥などにも使える、汎用の調節装置だったのだろう。

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この飼育所の特徴は、室が並ぶ部屋とは別に、もう1室飼育室があることだ。スチール製のカイコ棚や蚕箔が残っていた。

この飼育室は3齢を飼育する部屋だったという。3齢は、室で飼育せず、このように密閉された部屋で棚飼いしたのだそうだ。

「地域での共同飼育」の時代には2齢までだったという話と、3齢まで共同飼育したという話を聞いてきたが、構造的に3齢配蚕を前提とした飼育所があることが確認できた。

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スチールの蚕箔がたくさん残っていた。

竹の蚕箔に比べると重そうだが、話を聞いた限りでは、塩ビパイプとの組み合わせでは摩擦が少なく、扱いやすかったという。

洗浄や消毒も竹の蚕座に比べてやりやすかったそうだ。

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月次の予定表が残っていた。

上段は月の1日から31日までの飼育当番などを書いたのであろう。

下段は、「氏名、掃立卵量、出番、記事」となっていて、農家毎の注文量を記入するようになっている。

「掃き立て」とは、卵から孵ったばかりの幼虫を飼育用の棚に移す作業を言う。卵の注文の単位は「箱」で、この飼育所の時代には1箱は約2万頭だった。(現在は1箱3万頭)

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挫桑場。「挫桑(ざそう)」とは、桑の葉を機械で細断する作業だ。稚蚕は小さいので、初めのうちは刻んだ葉を与える。

この地下が貯桑室になっていて、階段はこの床を上げると現われる。

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挫桑室の横は宿直室で畳がある。この配置は、多くの稚蚕飼育所で共通だ。

この飼育所では、主任1人で、作業者6~7人が飼育所に詰めたという。

(2008年05月02日訪問)