高崎市の箕郷町から渋川市方面に向かうときに使う県道26号線。榛名山の東麓を巻くように続く県道である。あるときぼんやりと地図を見ていたら、上野田の交差点から渋川方向に、並行に走る裏道があることに気付いた。
私の移動時のモットーとして、「主要道に旧道があるときはなるべく旧道へ」というのがある。このモットーにしたがって、あるときこの裏道に入ってみた。すると、道に面して土塁のようなものを発見。はじめ館跡かと思ったのだが、途中に文化財の標柱があって、猪土手であると書かれているではないか。そのときは他の目的があったので、後日、出直すことにした。
ここであらためて榛東村の文化財の看板の地図を見直してみる。今回紹介する猪土手は赤丸の位置になる。どうやらこの猪土手は、榛東村で見た猪土手とひと続きになった遺構のようだ。この猪土手の遺構、探せばまだ延長が見つかるかもしれない。
さて、それからしばらくしての2012年6月、友人の家族と前橋市の公園に遊びにでかけたあと、中途半端に時間が余ったのでこの猪土手を見にいくことになった。
これがその猪土手である。
右側は個人宅の屋敷森のような場所で、面積は1ヘクタール以上はありそう。屋敷だとすれば桁外れの広さであり、館跡と勘違いしたのはしかたがないだろう。
いや、もしかしたら、本当は館跡なのかも知れない。いずれにしても気になるスポットなのだ。
土手は残っているだけでも高さは1mほどはある。だがこんな緩い法面ではイノシシも楽々乗り越えてしまうだろう。榛東村の猪土手はもともと高さ2mはあったというが、ここと同様の施工だったとすると、どうやってイノシシを防いだのか疑問が生じる。土手の上に竹囲いのような構造物でもあったのだろうか。
猪土手が本来はどんなものだったのか、この遺構を見ただけでは、実は私にはまだよくわからない。
四国に住んでいたとき、徳島県で多くの猪垣を見た。その猪垣はすべて石垣(または板状の石板)の垂直面でイノシシを防除していた。その中で唯一、穴吹町に土でできた猪垣があったという話を聞いたが、行ってみると住宅地になって取り壊されてしまっていた。
土でできた猪垣(=猪土手)については、もっと情報を収集しなければならないようだ。
同行者たち。
初めて見る猪土手にどうしてよいかわからず、途方にくれているように見える・・・。
ちゃんとこのあと水沢街道の“いも串"の名店、鹿火屋(かびや)に行ってサービスしました。
(2012年06月24日訪問)