厳島神社。いわゆる安芸の宮島と呼ばれる関西でも屈指の観光地。国宝でもあり、世界遺産でもあり、日本三景の一つとされている。
このサイトではあまり有名な寺社を載せていないので、いままでに載せた寺社の中で最も有名な寺社かもしれない。ねちっこく末社のチェックでもしようものなら、どれだけ時間がかかるかわからないし、下調べもせずでは重文以上のランクの建物を網羅することすらむずかしいが、できるだけがんばってみたい。
その社殿の前の海上には両部鳥居が立っている。両部鳥居とは、鳥居の下部に4本の添え柱を立て、貫で連結することで安定性を増した鳥居である。国重文。
そして、本殿と鳥居を結ぶ軸線の先には思い掛けない白い建物が。
この建物は、平等大慧会という宗教団体の本部だ。ムー大陸博物館などを運営する団体で、私の信条としては歓迎したい宗派だが、この場所に狙って本部を建てたのは景観の破壊という意味で感心できない。
たぶん宮島を訪れた観光客の99.9%が、「なんじゃありゃ?」と眉をひそめるはずだ。日本三景のひとつ松島から見える火力発電所もそうだが、日本三景ってどうしてこうなんだろう・・・
さて、社殿のほうを紹介しよう。豊国神社側からみた社殿の全景だ。
こうしてみると、手前の白壁の建物が目立ち、それほど美しいとは言えない。ありていに言えば、なんだかよくわからない。
そもそもこの建物は神社の建築ではなく、住宅建築の一種だ。平安時代の貴族の屋敷で「寝殿造」と呼ばれるものである。それを少し神社っぽくしてみました、というのが厳島神社なのである。
日本の神社はほとんどの場合、中に人間が入ることはないので、外観が建物の主要機能といってもいい。ところが、寝殿造りは住宅だから、むしろ内部からの景観が重視されている。
境内にあった工事現場の見取り図に着色して建物の名前を入れてみた。(はっきりわからなくて勘で書いてあるところもあるので資料として使うときは注意)
右の客人神社の上が拝観料徴収所で、橋を渡りながら社殿を巡ることができる。拝観料は300円。意外にリーズナブル。
摂社の客人神社。国宝。
写真で見えるのは拝殿に直角に突き出した祓殿という社殿だ。ちょっと縦拝殿のようでもある。
厳島神社の拝殿もこれと同じ造りだ。
陸地側から見たまろうど神社(右)と、朝座屋(左)。
あいだに見える赤い回廊は「東回廊」と呼ばれる部分。
朝座屋(ちょうざや)は、社務所のような建物だったらしい。国重文。
東回廊から厳島神社本殿方向を見る。
拝殿は工事中だったが、工事中でなかったとしても、手前の回廊が視線をさえぎってしまうため、拝殿や本殿を一望することはできない。
厳島神社の拝殿と、その前に突き出した祓殿。
その前には舞台がある。社殿には他にも能舞台もあり、全体的に劇場っぽい要素が多い。
祓殿を横から見たところ。
祓殿の左右には屋根のない通路があり、舞台方面の迂回路になっている。演者や奏者などが舞台へ移動するための楽屋裏の通路のようなところなのだろう。
回廊への接合部に向拝などがなく、もしかして後補の通路かもしれない。
本殿(右)と、大黒社(左)。
こんな具合に裏側からでも見ないと、本殿の様子がわからない。
本殿は国宝。大黒社は国重文。
大黒社の後ろ側にさらに回廊でつながった社殿がある。
天神社と思われる。国重文。
室町末期の建物らしいが、軽やかで古風な建物だ。年代よりずっと古く見え、鎌倉と言われても信じそう。
だが、こんな水気の多い場所だから、古いと言っても頻繁に大規模な修理が行われてきたはずだ。
潮が引いたところに現われた遣り水のような構造。
反り橋。現在の形の橋が作られたのは室町末期で国重文。
勅使橋と言われていて、つまり、天皇の使者だけが通行できるとい意味だが、こんなつんつるてんの橋を渡ることはないのではないか。つまり飾りである。
能舞台。
平成3年の台風で倒壊して再建されたもの。
宝蔵。これは海上部ではなく、陸地側にある。
校倉造で檜皮葺き。国重文。室町初期から中期といわれているらしい。まあ、室町といわれればそう思う。
重文だらけなので、写真を撮るのも「作業」と化して、疲れていれば見落としも出てくる。残念ながら社殿平面図に乗っている建物名のすべてが紹介できなかった。
(2002年08月29日訪問)
日本の町並み250――重要伝統的建造物群保存地区をすべて収録
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