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西大室にはいくつも飼育所があったようで、この施設の名称は不明なのだが、いまは1ヶ所しか残存していないので、西大室稚蚕共同飼育所と呼ぶことにする。
現在は工務店かなにかの倉庫になっているようだ。
こぢんまりとしたのブロック積みの建物である。
ブロック電床育形式の飼育所の原形となった発想は、向かい合った2列のムロ(飼育室)の上に屋根をかけたものだと言えるのだが、この物件はその原初の形態に近いプリミティブな建築だと思う。
小部屋方式の稚蚕共同飼育では、ムロ(小部屋)を建築物に作り込むか、装置として設置するかは2通りの考え方があった。土室育という常設の方式が考案されたのは昭和25年ごろとされているが、そのときすでに電熱線を利用した電床育方式も考案されている。
しかし最初に考案された電床育方式はよく見られるような建築の構造ではなく、保温箱のようなもので、室内で組み立てて設置する装置の名称であった。終戦後の物資不足の時代には、在来工法と木炭で運用できる土室式が普及したが、物資不足が一段落すると温度管理が楽な電床式が求められるようになった。電床式飼育を実現する合理的な構造として、登場したのがブロック電床育形式の飼育所なのである。
ブロック電床育方式は昭和36年ごろに群馬県宮城村で考案されたものだという。昭和40年ごろには大部屋の一括温度管理方式が登場し、40年代の前半にはそのフォーマットが確定していくので、ブロック電床育の時代は昭和30年代中盤から40年代中盤までと考えたらよいかもしれない。
ブロック電床育方式は、当初、保温・保湿を重視したものだったため、桑の搬入、人の出入りに対する防疫管理の面が弱かったと考えられる。
その後、ウイルスなどの研究が進み、衛生管理が重視される時代になり、内部での作業は白衣、長靴の着用が求められるようになると、急きょ更衣室が設けられたのではないかと想像している。
その推理の根拠になるのが、更衣室の造りだ。
この物件は小型の建物のため、高窓の位置が低く、側面にある更衣室の天井は頭がつかえるほど低くなってしまっている。最初から更衣室が作られたのであれば、このような不便な造りにはならないだろう。
トイレは、宿直室側の角にあった。
写真の中央下部に見える小窓は、貯桑場(地下室)の明かり取りである。しがたって、貯桑場の上部には床を張った部屋があることがわかる。
近くで見かけた木造腰折れ屋根の牛舎。
腰折れ屋根は、屋根裏を部屋として用いるためのもので、ここでは屋根裏部屋に牧草を収納しているのだろう。
赤城山麓は牧畜も盛んで、少なくとも数ケ所でこうした腰折れ屋根の建築が残っている。
(2007年02月13日訪問)
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