実は、この日の訪問先は、先の本郷稚蚕共同飼育所で終わりの予定であった。連日の飼育所めぐりで、さすがに朝から夜まで飼育所を見続けるのはしんどくなってきたからだ。残りの飼育所は、明日の訪問計画でだいたい廻れそうだったので、早めに引き上げて原嶋屋で焼きまんじゅうを食べるつもりなのである。
だが、せっかく大胡あたりまで来たので、通ったことのない字を通って少しだけ遠回りして帰ろうと思い、車で流していたら飼育所を見つけてしまった。
見つけた以上は立ち寄らなければなるまい。
上の写真がその天神稚蚕共同飼育所である。現在は牧場の倉庫になっているようだった。
高窓に換気塔、妻側には配蚕口。
ふむふむ、典型的な直線型の飼育所ですな・・・
・・・と思ったら、よく見るとこの飼育所は、今まで見た直線型の飼育所にはない特徴があることに気付いた。
なんと、この建物は全体が飼育室で、宿直室や挫桑場にあたる空間がないのである。
これまで見てきた直線型の飼育所では、配蚕口の反対側が宿直室になっていた。写真で言えば、右側に配蚕口があるのだから、建物の左端が宿直室になるはずなのだが、よく見ると高窓は建物の左までずっと続いているではないか。
想像だが、ここにはもともとは2棟の飼育棟が並立してあったのではないだろうか。宿直室はもう一方の建物にあったのだが取り壊され、飼育室だけの建物は倉庫として残ったのが現在の姿という推理である。
この飼育所は少し内部を覗くことができた。
小屋組みは写真のような木造トラス。南側には天窓がある。外から見ただけなので天窓が後補のものかどうかは確認できなかったが、南側に建物があったとすれば、採光を補うために天窓を作ったとも考えられる。
上の写真のムロの部分を拡大したところ。
ムロはブロック積みの電床育。スイッチやパイロットランプのようなものが見える。
また、これまで見た飼育所では、ムロの戸は紙張りだったが、ここでは合板の戸板になっている。(奥の1間に戸板が残っている。)
床砂があったかどうかは遠目にはわかなかったが、倉庫として使っている以上、たとえ床砂があったとしても取り除かれているであろう。
(2007年02月12日訪問)
復興建築 モダン東京をたどる建物と暮らし (味なたてもの探訪)
単行本(ソフトカバー) – 2020/12/2
栢木まどか (監修)
関東大震災後、現代の東京の骨格をつくった「帝都復興計画」と、未曾有の災害から人々が奮起し、建てられた「復興建築」を通して、近代東京の成り立ち、人々の暮らしをたどります。
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