恵林寺の東にあった寺。距離が近かったので歩いて移動。非常にボリューム感のある薬医門が見えてくる。
この門を素直に薬医門と言ってしまって良いのかは多少疑問も残る。柱は6本なので言いようによっては四脚門、もしくは六脚門(?)とでも言えそうだ。
薬医門ならば柱は4本、四脚門ならば6本だが四脚門の中央の1列の柱は門扉を取り付けるためのものである。このように最前列の柱に壁があるならば、やはり薬医門とみるべきだろう。間口三間、奥行二間の薬医門である。
本堂は寄桟瓦葺きの寄棟造。先ほど立ち寄った恵林寺は入母屋造だったが、それ以外の点ではとてもよく似た本堂である。
年代的にも近いようだ。同じ大工が立てたのだろうか。
本堂の右手には玄関と庫裏。
本堂の前にはやはりモルタル打ちのまわり場。
まわり場はドーナツ状になっているものが多いが、この寺のものはピザのように丸くなっていて穴がない。この点も恵林寺とよく似ている。
裏山に柴田氏の墓があるということだったので本堂の左手のほうから回っていくと、見すごせない看板を発見。
戸には鍵もかかっていなかったので入ってみるとなんと地下霊場が。
やっぱりとりあえず本堂の裏には回ってみるものだと、つくづく感じてしまった。
奥はあまり深くなく、しかも一度崩落したのか、RC造で補強されている。
内部には五百羅漢の石仏があった。明和年間に流行した疫病平癒を祈願するために環中道一という僧が彫ったものなのだという。
(2001年09月22日訪問)