5日目。まだ半分ねぼけまなこで最初の目的地、長谷寺へと向かう。水田と低い丘陵が続く石巻郊外の谷に入っていくと、その奥まった所に寺はあった。巨大な堂塔こそないものの、こんもりと茂る杉林のおかげで遠くからも寺があることはすぐに知れる。本来、ここではそういう風景を紹介すべきなのだろうが、残念ながら最初の写真は山門の薬医門である。
薬医門の前には池があり、
“片葉の葦"というのは各地の伝説などによく出てくるが、このようなもの。つまり、本来左右に交互に出るはずの葉が片側だけに出る葦のことだ。
この日のほとんどの行程では、ボイスレコーダによる録音が失敗していて、記録が残っていないので説明があいまいになりがちなのはお許しいただきたい。
使っていた機種はメモリカードを差し込むとき、数回に1回の割合で認識エラーを起こすのだが、それを知らずに認識されていない状態で使っていた。この当時のガジェットの信頼性はそんなものだったのだ。
本堂、客殿、庫裏などは新しい建物だった。この日は法事が行なわれていたようだ。
本堂の前には色の違う石がきれいに敷き詰められて作られたまわり場があった。
本堂前にある薬師堂。
この寺は、本堂のあるエリアと、このあと紹介する観音堂のあるエリアと2つにわかれているのだが、本堂前が明るくてさわやかなのに比べ、観音堂方面は薄暗くて陰々とした雰囲気で、その格差が激しい。
観音堂エリア。
境内の右側の山の上に観音堂がある。
観音堂の方にもまた山門がある。まるで別の寺のような感じ。
山門は八脚門の仁王門で、仁王は通路の内側に向いているタイプ。
内部の仁王は独特。造形は技巧的なのだが、何かが違う気がする。
こちらは阿形像。
こちらは吽形像。
仏像というよりは、文楽人形のような感じなのだ。
観音堂前にいた狛犬。
これを「犬」と言ってしまっていいのか迷う。猿もしくは小形恐竜のような姿をしている。
手本を見ずに自分の想像だけで作ってしまったのだろうか‥‥。
観音堂。「大悲閣」とも呼ばれているそうだ。
長谷寺の由緒ははっきりしないが、源義経が旗揚げし鎌倉にのぼったとき、武運長久を祈って参詣したという伝説があるそうだ。
観音堂の前には使われていない鐘堂があった。
(2001年08月15日訪問)
日本の伝統木造建築: その空間と構法
単行本 – 2016/8/8
光井 渉 (著)
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