福田海をあとにして吉備津神社へと到着する。広々とした駐車場があり、大きな土産物屋もある。観光地に来たなぁ、という実感が湧いてくる。
石段を登るとまず北随神門(ずいじんもん)がある(左写真)。室町中期の建築といわれていて、国重文である。
なお、神社の八脚門は一般的には「随身門」と表記するが、この神社では「随神門」と書くそうだ。
その横には自動車のお祓い所。
随神門をくぐると急な石段があり、今度は割拝殿。
そして割拝殿を通ると境内へと入れる。
そして左写真が吉備津神社の拝殿(右半分の長細い部分)と本殿(左半分の妻が二つ連なっている部分)である。いずれも国宝である。
なんだかアニメの「ガンダム」に出てくる宇宙戦艦みたいだ。変な例えだが。とにかくカッコイイ。
本殿は入母屋屋根を2つつなげた形をしていて、これを比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)と言う。これに縦拝殿を接合したこの建物全体の作りを吉備津造(きびつづくり)と言うそうだ。もっとも吉備津造の建物はこれだけしかない。
境内で見かけたおみくじ販売機。六角をしていて各面に昔話が書かれている。
境内で見かけた絵馬を掛ける堂。「祈願トンネル」と書かれている。
巨大な社務所。おそらく初詣や節分などの大勢人がくるときに使う建物だろう。
お釜殿。国重文である。
勝手に撮影するなと書いてあるので当たり障りのない角度で撮影。
見えない右手のほうで有名な「鳴釜の神事」が行われる。カマドに載せた釜がブーンと唸るかどうかで吉凶を占うという儀式(占い)である。何だか凄い神事のようだが、祈祷料は一回3,000円と、意外にリーズナブル。
この神事は、吉備津彦命に退治された鬼(=温羅:うら)の首が十三年間にわたってうめき声を発し、吉備津彦命の枕元に立って自分をカマドの下に埋めたら吉凶を占ってやると言って鎮まったという伝承が元になっている。古来、日本では怨霊を祭り上げて自分に都合のいい神様にしてしまうという信仰があるが、これもそのひとつと言えるだろう。しかし、これでは吉備津神社というより温羅神社ではないのか。
とにかくここまでで、左の境内図の左側の本殿の辺りを紹介したことになる。ここから先は回廊を通って右下の方へと進んでいく。
回廊の入口、南随神門。南北朝時代までさかのぼるとされ、国重文である。
随神門を潜ると回廊が続いている。
とても長い回廊だ。
回廊を外からみた様子。
手前は牡丹園になっている。ちょうど花の季節であった。
回廊の途中には何カ所か山側に末社が祭られているので飽きない。
回廊の出口にあった小祠。
南側から出るとちょっとした門前町があって、遠くに石の鳥居が見えていた。(左写真)
今は多くの観光客が駐車場のある北参道から参詣しているが、かつては南参道のほうがにぎやかだったかもしれない。
(2001年05月01日訪問)