南高麗の辻時計

御大典記念、かつ、道しるべにもなっている辻時計。

(埼玉県飯能市上直竹下分)

金曜日に東京に出張の仕事があったので、そのまま郷里の群馬に帰省することにした。通常、徳島から東京の日帰り出張は徳島⇔羽田の航空便を使うのだが、このときは自家用車で出張することにした。ガソリン代と高速代のほうが、航空便に比べたらちょっとだけ安くつく。ただし何時に終わるかわからない仕事のために渋谷界隈で車を有料駐車場に入れるのは気が気でないので、中央林間の安い駐車所に1日単位で停め、そこから田園都市線で都心へ向かった。

結局、仕事が終わったあと、そのまま帰省せず町田インター付近にある万葉の湯という健康ランドに宿泊することにした。せっかくなので、首都圏から群馬までを明るい時間帯に移動して、寄り道しようと思ったからだ。

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明けて土曜日。

これから群馬に帰省するのだが、関東山地を通っていくことにする。大ざっぱにいうと町田→八王寺→飯能→秩父→藤岡というようなルート。

このエリアでかつて辻時計を見かけたことがあるのだ。そのときは夜だったから、きょう改めて立ち寄っていく。

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そこは入間から名栗へ抜ける埼玉県道221号線。風景はあきる野や青梅の奥のほうと似ていて、東京の奥座敷の風情。小金持ちが田舎暮らしのために古民家を買ったりしそうな感じの場所だ。

その街道の分かれ道に辻時計がある。

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この時計を知ってからもう10年は経っているので、まだ残っているか不安だったが、心配は杞憂に終わった。少し古びたけれど、完全な状態で稼働していた。

改めて見てみてもすばらしい。自分の中では"マイ国重文"には認定したいレベルだ。(マイ国宝とまでは言わない。)

Y字路の分岐にあるのもいい。横には庚申塔もあるので、ここは霊的にも特別な場所なのだ。右の道は県道、左は山に分け入って数キロ先で行き止まりになっている。

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竿には「御大典記念」の朱文字。昭和3年の昭和天皇の即位の式典を記念して建てられたということである。辻時計には昭和3年製が多く、当時のブームだったのだろうと考えている。

当サイトでは戦前の辻時計を次の3パターンに分類している。

(1) 丸首型:時計の丸い形状をなぞるように円形のコンクリの首をもつもの。

(2) 行灯型:神社の境内に並ぶ雪洞(ぼんぼり)(辻行灯(つじあんどん))のような形状。柱の上に載る形で屋根があるタイプ。

(3) 石碑型:平板的な石碑や墓石のような外観で、時計を埋め込む円窓がついているもの。

この物件は(2)を代表するものといってもいい。徳島でいえば勝命の辻時計がこのタイプに該当する。

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裏側に定礎があり、「昭和三年六月建之 南高麗 青年団 上直竹支部」となっている。

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竿の右面は道しるべになっている。

「→ 山王峠ヲ経テ原市場村、子ノ山、秩父、方面」

「← 下直竹、成木村、青梅町、方面」

「→」はこれはこれから通るつもりの道だ。

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竿の左側は、

「上直竹下分、上分、高水山方面」

とある。

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竿の材質は人造石研ぎ出し仕上げ、いわゆる人研(じんと)ぎ。

時代を感じさせる。

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現在も時計がついていてきちんと正しい時刻を指していた。電灯もあるので夜になると点灯する。

素朴な造りだけど、必要十分にして、まさにぼんぼり型辻時計のあるべき姿をしている。

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こういうのを見てると、自分もいつか辻時計を建ててみたいと思ってしまう。

念入りにディテールの写真を撮っておかねば。

(2007年02月10日訪問)