武家屋敷

市内武家屋敷の心眼観光。いまひとつ自信なし。

(福島県会津若松市山見町)

「会津の武家屋敷」といえば東山温泉にある観光スポットである。しかし、ここで取り上げるのはそれとは似ても似つかない物件だ。そもそも「武家屋敷」と言って一般に観光化されているのはだいたいが家老クラスの住居だであり、武士の暮らしの一般像とはかけ離れている。だいたいにおいて、こんにち文化財として見学できる民家は、武家屋敷に限らず、商家で言えば豪商、農家で言えば名主クラスの建築ばかりである。それらを見学して昔の人はこんな生活をしていたと想像するのは勝手だがどうも面白くない。

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そこで、せっかく城下町である会津若松市を訪れたのだから、町のなかを細かく巡り、自分なりに街を形成する武家屋敷の全容をイメージしようと試みた。

と言っても、平均的な武士の住居であった質素な建築は文化財にも指定されていないし、だいいち普請もそれなりだから、なかなか今日にそのまま姿をとどめるということはない。

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文化財に指定されている民家ですら修復前の姿は後世の修復や増改築のために外観が大幅に変わっている場合が多いのだから、平均的な階級の人々の住居を捉えようとすれば「心眼」に頼らざるをえない場面も多くなる。でもまあ、研究者が文化財の調査をするわけでもないのだから見えないものを見るような心眼観光もそれはそれでまた一興なのだ。

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上級武士の住居(?)

私には今のところ「これが武家屋敷だ」と完全に見切る眼力はない。だから、見出しにも「?」をつけておいた。市内の住宅街は観光ルートでもないから、いちいち「これは武家屋敷です」という立て札が立っているわけではない。これは市内千石町付近で見かけた黒塀を巡らせた屋敷。もしそうであれば、かなりの上級武士の住居ではないかと思われるもの。

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中級武士の住居(?) 相生町付近

いずれも母屋の建築は現代のものである。つまり建物をもって武家屋敷であると断じているのではない。正しい定義かどうかはわからないが、道路から母屋が引っ込んでいて玄関までにわずかでも庭を設けている建て方は、武士の住居の特徴ではないかと考えている。商人や町人にはこのような建て方はできなかったはずである。

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中級武士の住居(?) 行仁町付近

いくつか、地方で「これが武士の家」というものを見てみると、そういう家はたとえば門と玄関の位置を食い違いにして内部を見通せないようにするというように、些細なことで武士としての気構えを主張していたりする。つまり「武士らしい」剛健さに固執することで「うちは武士の末裔だ」ということを主張しているわけある。ゆえに、武士の家はどこかに武家の空気がただようことになる、というのが私の考えだ。だが、今のところその空気を言葉で表すのはちょっと難しい。

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下級武士の住居(?)

武士の住居の中でも下級武士の住居は最も安普請であり、その残存率も低いと考えられる。これは“足軽長屋"と呼ばれる下級武士の住居ではないかと思える物件。塀はないが街路より引き込んで建てられており、街路と母屋の間のわずかな空間に玄関を設けている。

(1999年08月22日訪問)

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