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古庄児童公園のX滑り台

(徳島県那賀郡羽ノ浦町古庄)

小松島市から国道55号の旧道を通って阿南市へ向かう途中、那賀川の鉄橋を渡る手前に駅の入口のように見えるが実際には駅ではない不思議な通りがある。55号の旧道は何度も通ったことがあるが、私はここに駅があるのだと思っていた。それほどまでにここは駅前の風情のある場所なのだ。(左下写真)

それもそのはず、ここはかつて阿南鉄道の古庄駅があった場所なのである。那賀川上流から切り出された木材を羽ノ浦で加工し、この駅から鉄道で運び出していたのだろう。だがこの路線も戦前には廃止され、戦後一時期旅客線として復活したらしいが1961年には廃止されたという。現在、徳島県の県南へ伸びるJR牟岐線は、古庄の一つ手前の羽ノ浦駅から東に反れて元の阿南鉄道とは違う経路を通っている。聞くところでは県議だが国会議員だか知らないが、羽ノ浦の東部の出身の議員がいて、自分の家の近くに駅を作るためわざわざ路線を変更して現在の牟岐線を建設したとのこと。

しかしそう考えると、すでに駅がなくなってから40年以上の年月が流れている。にもかかわらず、この駅前っぷりはどういうことなのだろう。まるで時間が止まってしまったようだ。

古老に話を聞くと、現在の駅前通りは木材を積み下ろしするトラックの作業場だったのだそうだ。駅が無くなったとき、その土地の所有者がはっきりせず、道路にも宅地にもならず、広いまま残ってしまい、今では商店街の買い物客などが駐車するためのスペースとして活用されているという。

今でもこの場所のことを地域では古庄駅前と呼んでいるということである。

かつて古庄駅やホームの跡があったという場所を見学した後、旧線路の跡を少し歩いてみた。

その途中で見つけたのが、この古庄児童公園だ。左写真の手前の砂利道部分が阿南鉄道廃線跡である。

その公園の奥に、巨大な造形物が見える。

滑り台というと、遊具、つまり「モノ」として捕らえがちだ。扱いも建築学の中の造園の一部というのが一般的であろう。

だがこの滑り台には、建築屋さんが図面を引いたような匂いを感じるのだ。それもポストモダンにかぶれた大学を出たての若い建築家が設計したような、そんな匂いだ。

それを悪いと言っているのではない。一般的な遊具業者のデザイン論とは違った、建築的なデザイン論から来る遊びを感じるという点で、際立って個性的な滑り台と言ってよいと思う。

滑降部は人研ぎ。

内側がお尻の形に合わせた丸い溝状になっているのも変わっている。

表面は荒れていて、滑り心地は悪かった。

2本の滑降部が互い違いに取り付けられているので、滑り終わったらすぐ次の滑り台にの階段を登って、交互に連続的に滑ることが可能である。

だが子供たちは、そうやって滑るのではなく、構造材の鉄骨に登ったりして遊んでいるようだった。

写真は小学校高学年くらいの女の子たち。パーゴラでひとしきり携帯メールをしたあと、滑り台に登って遊び始めた。

滑降部はエメラルドグリーンに塗装されているが、本来の色はサーモンピンクだったようだ。

このページは「滑り台保存館」に協力するために調査したものです。