阿波池田たばこ資料館

刻みタバコの製造技術に関する資料が充実。

(徳島県三好市池田町マチ)

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きょうは脇町のほうに古いVIVOの自販機があるという情報を聞いて写真を撮りに来て、そのままフラフラと池田町まで来てしまった。

池田町は明治時代に刻みタバコの生産地として名をはせ、その後も専売公社のタバコ工場ができるなど、タバコとともに発展した町だ。

いまも町屋に残るうだつにその繁栄ぶりが偲ばれる。

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うだつが最もよく残っているのは本町通りで、そこに「阿波池田たばこ資料館」という博物館があったので入ってみた。

博物館はタバコを商っていた豪商の屋敷で、建屋の1/3くらいが資料室、残りは古民家として見学者に開放されている。

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展示内容は県西に江戸初期にタバコが渡来してからの歴史が学べる。

徳島におけるタバコの起源は、伝説によれば慶長17年(1612)に九州の行者が伝えたものだという。その行者の名は定かではないが人々には筑後坊と呼ばれ、その碑が山城町に残っている。その後、江戸時代に何度か他地域の品種が移入され、明治42年に専売局が優良品種の統一をしたときに、現在の阿波葉(あわは)の系統が選抜されて固定されたようだ。

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日本にタバコが入ってきた直後は葉巻で喫煙されたと考えられるが、すぐに煙管(キセル)での喫煙が一般的になった。

煙管の火皿の部分に詰めるのが刻みタバコで、細く刻んだタバコの葉である。その幅は0.1mmほどで世界一繊細な刻みタバコといわれる。タバコが専売になる明治37年以前には池田町にはたくさんの刻みタバコ製造業者があって、それぞれにブレンドなどを工夫していた。

この博物館ではタバコのはを刻む機械技術の資料が充実している。

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刻みタバコの製造工程。①解包(かいほう)(産地から届いた葉たばこの荷をほどく)、②砂掃き(葉たばこに付いている土砂やちりを小ぼうきで一枚ずつ掃き落とす)、③除骨(葉たばこの真中に通っている太い葉脈「中骨」を取り除く)、④葉組み(色々な種類の葉を組み合わせながら重ねブレンドする)、⑤巻き葉(葉組みした積み葉を刻みやすく折りたたんで巻く)、⑥押さえ(「責め台」で巻き葉を押さえてくせを付ける)、⑦細刻み(巻き葉を切り台にのせ、押さえ板で押さえながら刻む)、⑧計量(注文に応じて適当な分量に計る)

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締台(しめだい)

巻いた葉たばこを滑車の原理で強力に圧縮して固形化する道具。

次の写真にある「剪台(せんだい)」にセットする原料を作った。

1800年ごろの発明という。

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剪台(せんだい)

「かんな刻み機」ともいう。上部でカンナを引きながら、ペダルを踏むと圧縮された葉たばこの塊が少しずつ上がってくるという仕組みだった。北海道で昆布を刻むのに使用していた機械がヒントになり、池田町で開発されたといわれる。

非常に効率が良かったが、刃に食用油を塗らないと切れなかったため、タバコが油臭くなり、下級品の製造に使われた。

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ぜんまい刻み機。

江戸後期(文化年間)に江戸で発明されたとされる裁断機。手包丁で刻むのと同じように刃が上下しながら、原料が一定の速度で送り出されるという機械。かんな刻み機に比べると生産性は低かったが、製品の品質がよかったため高級品に使われ、ラベルには「ぜんまいぎり」などと書かれた。

これ、大正~戦前に養蚕で使われた人力の挫桑機とほぼ同じものだな。江戸後期にはすでにあったのか。

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酒井式裁刻機。

動力を使い裁断する機械で、専売局によって改良されて規格化された。

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専売公社池田工場で作られていた、国内最後の刻みタバコの銘柄「ききょう」。

昭和54年(1979)まで製造されていた。

ききょうは阿波葉の主な用途とされていたが、この銘柄が廃止されてからは阿波葉は他の葉たばことブレンドされて味の調整に使われている。

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明治時代に池田町が繁栄した時代の民営たばこ工場の貴重な様子。

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明治33年(1900)の徳島県内の葉たばこの生産面積。ほとんどが県西の山岳地帯で、すべて在来種タバコである。

現在、徳島県での主力産地である土成、上板方面ではまったく葉タバコが作られていない。この当時、黄色種は徳島にはなかったのだ。四国に黄色種が導入されたのは愛媛が大正7年(1918)、香川が昭和3年(1928)、高地が昭和9年(1934)、徳島は四国で最も遅く昭和13年(1938)のことだった。

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池田で作られた葉タバコは平田船とよばれる和船で、吉野川を下り、北前船で大阪方面に出荷された。

平田船は諏訪公園付近にあった池田港から徳島まで川の流れに乗って2~3日、上りは帆走や岸からの牽引で1~2週間の運行だったそうだ。大正3年(1914)に徳島本線が池田まで開通すると、時間のかかる平田船は衰退した。吉野川にかかる沈下橋が架橋されるのは戦後で、こうした舟運が完全になくなってからだ。

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昭和15年(1940)と昭和55年(1980)の葉タバコ耕作面積の移り変わり。

昭和15年を見ると、黄色種の栽培面積は在来種の半分以下である。

昭和55年を見ると、黄色種の規模は在来種の2倍になっているが、黄色種が増えたというより在来種が減少しているのが実態だ。吉野川の中流域に養蚕が広まったのが理由ではないかと思う。

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民間時代のさまざまな刻みタバコのパッケージ。

「ぜんまい切り」の文字が随所に見られる。

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専売公社自体のタバコのパッケージ。

右側が紙巻きタバコ。左2列の「みのり」、「富貴煙」、「ききょう」、「あやめ」、「はぎ」、「なでしこ」は刻みタバコだ。

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在来種葉タバコのサンプルがあった。

これは阿波葉(あわは)の中葉と本葉。

「中葉・本葉」は植物としてのタバコの部位の区分で、阿波葉は下から下葉(したは)(2)、中葉(ちゅうは)(3-4)、合葉(あいは)(4)、本葉(ほんば)(4)、上葉(うわは)(3-4)と分類される。括弧はおおよその収穫枚数。

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こちらは阿波葉と同じ第3在来種の品種「達磨葉(だるまは)」。

栃木を中心に作られている。

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第1在来種の水府葉(すいふば)

茨城で生産されていた品種で、現在は作られていない。

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第2在来種の松川葉(まつかわは)

福島が主な産地で、最も生産量の多い在来種だ。

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資料館の奥は屋敷が公開されている。

タバコ販売で栄えた豪商の屋敷だ。

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立派な書院。

床の違い棚のところに木材の説明が書かれていた。

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紫檀(したん)」、「黒檀(こくたん)」、「鉄刀木(たがやさん)」。

いずれも最高級の材木で「唐木三大銘木」とされる。

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私は大学が建築学科だったので、学生時代「シタン、コクタン、タガヤサン」っておまじないみたいに覚えさせられた。

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通り土間が跳ね橋になっている面白い造り。

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中庭は2箇所あるが、いずれも表通りからは見えない美しい小宇宙。

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タバコ商人の繁栄ぶりがわかる。

(2007年07月29日訪問)