鰐淵寺

中世には出雲大社の別当寺として栄えた古刹。

(島根県出雲市別所町)

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島根半島きっての名刹、鰐淵寺(がくえんじ)へと到着。以前まだデジカメを持っていなかった時代にこの寺には来たことがあり、再訪になる。

鰐淵寺は飛鳥時代の創建という伝説を持ち、歴史的に確認できる範囲でも平安時代には修験道の霊場として繁栄したことがわかる古刹である。

ただし、繁栄した鰐淵寺は寄り道した鰐淵鉱山がある唐川川の谷にあったとされ、現在の鰐淵寺はそこから一山東に越えた谷になる。

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山門のかなり手前から駐車場があるが、よほどのシーズンでなければ山門のあたりに駐車すればよいだろう。山門の横にも7~8台分の駐車場がある。

山門は八脚門の仁王門。

こちらは仁王像の阿形。

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こちらは吽形。

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仁王門は寺の前を流れる清流の対岸にあるので、境内へは山門をくぐってから橋を渡るようになっている。変わった伽藍配置だと思う。

境内にはモミジが多いので紅葉の季節がよさそうだ。

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伽藍配置図はこのとおり。

中央部に文字が消されている場所があるが、透けている文字を読み取ると「是心院」とある。廃寺らしい。

複雑な寺では伽藍配置図を頭にたたき込んで、くまなく参詣するのが基本となるが、今日も昨日に続いてたいへんな猛暑、しかも再訪だったので、「あぁ~早く観て早く次行こぉ~」とダレ気味になっていた。そのせいで、痛恨のミスを連発することになる。

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でも気を取り直して寺を紹介していこう。

橋を渡ったところ、右側に本坊がある。

本坊の山門は御成門で、通常は通行できない。

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本坊の通用門は横に長屋門があり、こちらからは参拝者も中に入ることができる。

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本坊の本堂と庫裏。

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本坊前を通って、境内の奥へ進んでいく。

両側は塔頭通りという風情で、大津の三井寺を小さくしたような感じとでも言えばいいか。ここも両側にはモミジが多い。

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参道の最初のあたりにある塔頭、滴翠館。

信徒休憩所的に使われているようだ。

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その横にある東司。伽藍配置図では「W・C」と書かれている堂。

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これが伽藍配置図で抹消されている「是心院」。草屋根が腐って抜け落ちていて、廃虚化が進んでいる。この感じだと数年で崩れ落ちるのではないだろうか。

これほどの名刹の中で、お堂が朽ち果てていくという諸行無常を感じたい人にはとってもオススメの場所だ。

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その向かいにあった十王堂。

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内部には石造の十王や奪衣婆、地蔵菩薩が置かれていた。

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地蔵堂の横には八脚門があり、いかにも塔頭がありそうな敷地になっている。

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小さな池泉庭園と寺務所ふうの建物があり、その先にはRC造の宝物庫がある。

宝物庫はRC造だし、暑さで参っていたので遠目に写真を撮っただけだった。そのせいで、宝物庫の裏手にある開山堂を見落としてしまった・・・。

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遠目に撮影した宝物庫。特に関心もなかったので、このときは気付かなかったがよく見るとドアが半開きになっている。

なんとこのとき、鰐淵寺に盗賊が入って重要文化財4点を含む仏像や絵画13点が盗難にあっていたのだ。

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私が訪れたのは午前で、午後には事件が発覚し警察の捜査が入ったということなので、もし、やる気があって開山堂へ行っていたら私が事件の第一発見者になっていたかもしれない。

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参道は緩やかな石段になり、根本堂が見えてくる。この石段は根本堂の正面とすこし角度がずれていて、それがかえってフォトジェニックになっている。

根本堂は安土桃山時代の建物で杮葺き。市指定の建築だがなかなか立派。少なくとも県指定でもいいと思う。

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建物は間口5間、奥行き5間で、手前2間が吹き放ちの密教様式。

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内部の須弥壇。

四天柱(?)には鮮やかな色彩が残っている。安土桃山時代的な特徴とも合致するので建築当初のものだと思う。

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根本堂の左側にある、常行堂と摩陀羅神社。

神社の拝殿と本殿のような作りになっていた。

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摩陀羅神社は大社造り。屋根は杮葺き。

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根本堂の右側には鐘堂がある。

梵鐘は1183年の銘があり国重文。この梵鐘には伝説がある。弁慶は18歳から3年間この寺で修行をしたことがあったという。平家を滅ぼしたあと弁慶が大山寺に立ち寄ったところ、大山寺の僧侶に「梵鐘を担ぐことができたら与えてもよい」と言われた。僧侶はいかに怪力の弁慶でも梵鐘を担ぐことはできないと思ったのであろう。しかし弁慶は天秤棒の先に鐘を下げると、一夜のうちにこの鰐淵寺に運んでしまったのだという。

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「弁慶と鐘」といえば、三井寺に伝わる「引き摺り鐘」。弁慶が鐘を強奪し引き摺って運んだために傷が残っているとされる伝説が有名。

私は鰐淵寺の参道がどことなく三井寺を思わせると思ったが、案外むかしの人も同じようなことを感じ、この伝説が生まれたのではないか。

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鐘堂の横には釈迦堂。

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その横には鎮守社があった。

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境内には他にも塔頭の跡と思われる地形がある。ここはそのひとつ等樹院跡。

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そのほか、案内板によれば本坊の前の川を上流にさかのぼったところに「浮浪の滝」という滝がある。5分くらい歩いてみたが滝が見えそうになかったし、前回弟の案内でこの寺に来たときにもこの滝には行かなかったので大したことはなかろうと引き返した。

あとで調べてみたら、この滝には蔵王堂という投込型の堂があり「鰐淵寺に行ってあそこを見ないでどうする!」というような重要伽藍だった。徒歩10分くらいで行けたらしい。

(2005年09月02日訪問)