倉吉の旧市街地へ移動。
倉吉は町並み観光の町なので、車での点の移動ではなく、町を歩いて寺巡りをすることにした。町並みは東西に長く、観光に足る町並みは商店街である倉吉銀座通りと、そのバックヤードともいえる裏路地の玉川通りの2本の通りと言っていいのではないかと思う。
廃線になった旧駅前に広い駐車場があったので、そこに駐車して歩くことにした。
駅の跡地にはC11の展示車両があった。
駅跡のほうから市街地へと向かう大通り。
交差点には豪華な看板建築の電器店があった。かつては洗濯機や冷蔵庫などの白物や、ラジオなどがならび、買物をするでもなく立ち入ってしまうような華やかな店だったのではないか。
交差点から一本南の通り、研屋町通りとでもいえばいいか。町並み観光のメインともいえる土蔵通りのひとつ北側の通りになるが、ほとんど観光に値する要素はなく、普通の町並みだ。
そのひとつ南側の玉川通り。ここが倉吉市の観光のメインになる路地だ。
この写真は玉川通りの西半分になるが、こちらはまだ素朴な感じで、映画のセットみたいに修景されていないところがむしろ心地よい。
所々に観光客相手の店もあるが、基本的には人々の生活感があるエリアだ。
玉川通りの西半分にある弁天参道。
赤いボンボリが幻想的ともいえる素晴らしい路地。この参道は大蓮寺という寺の参道なのだが、寺はあとでまとめて紹介することにして、先に町並みを見ていく。
そこから振り返って、東方向を見る。
この東側が観光の中心地になる。
この道は実は造り酒屋の蔵と蔵の間の狭い道。
写真中央でベージュ色の服を着た人が入ろうとしているところがそうで、本当に裏路地なのだ。
商店街のバックヤードとして、開発から取り残されたため古い景観がのこったのだろう。
今回、写真を整理していてつくづく思ったのだが、どうも自分は町並みの撮り方が下手だ。自分が目指しているのは絵はがき的な構図ではなくて、あとで誰かが見たときに2005年ごろの倉吉はこんな所だったのだと、全体がわかるような構成なのだ。
でも初めて訪れた町で、全体を俯瞰して計画的に写真を撮っていくことがまったくできておらず、結局、部分部分を切り取ったようになってしまった。
この裏路地、私は勝手に玉川通りと呼んでいるが、観光名所としてよく写真で紹介される区間は50mほど。
この部分に観光客は集中している。
用水の裏路地といえば、飛騨古川が極まっていると思うが、それに比べるとやや物足りない感じが否めない。
そこからさらに東へ歩くと、また、生活感のあふれる町並みになる。でも多少の観光客はこっちへも流れてきていた。
玉川用水が路地から離れる研屋町までが、なんとか普通の観光客が散策できる限界ではないかと思う。
そのあたりから南へ歩き、銀座通りへと向かう。
銀座通りへ出ると、横丁に古い郵便局があった。
なんかそのうち整理されて、町おこしNPOの仲間内のたまり場とかにされそう。
郵便局の角からさらに東へいったところにあった和菓子屋。
私は寺巡りもしているので、こんな町並みの外れまで北が、このあたりまで来る観光客はほとんどいないだろう。
銀座通りをまた西へ戻る。
このはほぼ二階屋の商家が軒を連ねている。旧倉吉市街のメインの街道筋なのだ。
東仲町のあたり。このエリアはもう観光客がそぞろ歩きをしていて、観光客相手のお店も多い。
少しいったところにあるネオルネッサンス様式の洋館。
さらに進むと商店街のアーケードが見えてくる。
なかなか風情のあるアーケードだ。
駅前方面にもアーチ看板がある。
アーケードは昭和時代に、雨の日でも買物ができると流行したが、どことなく陰気な感じになりがちでもある。横浜の伊勢佐木町モール等で、アーケード撤去の成功例が有名になり、地方都市でも撤去が進んでいる。
ここも遠からず撤去されるのではないか。だがこれはこれで、昭和を回顧させる懐かしい景観ではないかと思う。
アーケードの途中に弁天参道への入口がある。
町を西から東へ、東から西へ往復したことがわかる。
これから町並みの中で見た寺を順番に紹介していこう。
(2005年05月02日訪問)