戸宮の揚水水車

側溝にも設置できるコンパクトな揚水水車。

(岡山県新見市哲多町本郷)

今回の旅における水車の情報は、『日本列島現役水車の旅(小学館刊)』によるものが多い。これから紹介する揚水水車もその本で知った。しかし本には「阿哲町本郷」という住所があるだけで詳細な位置がわからないため、発見するのに非常に手間取ってしまった。

まず、写真の雰囲気から「この辺じゃないか」と目星を付けた場所に行ってみた。道ばたにおばあちゃんがいたので、本の写真を見せて訊ねてみた。

「このへんに田んぼに水を入れる水車ありませんか?」
「こんなところには水車なんかねぇっ!」
「この写真の水車なんですけど…」
「こんな写真はちがわぁ!」
「本郷って書いてありますね?」
「こんなもんありゃーせん!」

けんもほろろである。

「となり町に行けば水車がある。行き方はむずかしいから息子に車でとなり町まで案内させる。すぐ息子が帰ってくるから、ちょっと待ってろ」

おっ、偶然の出会いで得られたレアなネタか? と思って、おばあちゃんの話をよくよく聞いてみると、それは新見市にある、地方交付金かなにかで作られたバブリーな巨大水車のことらしいのだ。そこへちょうど息子が帰ってきた。おばあちゃんはしきりに案内させようとしたのだが、丁重に断って自力で捜すことにした。

ここだと思った場所で訊いてみてわからないとなると、あとは根気よくしらみつぶしに捜すしかない。1時間捜して発見できなければ、もう無くなってしまったのだと思ってあきらめよう。

それから、けっこう広い本郷という字を隅から隅まで走ることになった。だがどうしても本に出てくるような風景がない。一周りして、再び最初の場所に戻ってきてしまった。

ところが、あきらめて立ち去ろうとしたとき、100mも離れていないところで水車が呑気に回っていたのだった。

写真

え? さっきおばあちゃんと押し問答していたとき、後ろを振り返ったら水車見えたじゃん!?

間違いじゃないよね?と思って本の写真をよく見たら、あきれたことに水車の背景に写っているのはおばあちゃんの家なのだ。

つまり手前に水車が回り奥におばあちゃんの家が写っているその構図の中で、私とおばあちゃんは押し問答していたのである。これにはさすがに言葉を失ってしまった・・・。

岡山県に限らず、水車を探していると地元の人が「ない」と言い張ることを何度も経験する。

おばあちゃんには悪気はない。その証拠にとなり町まで息子に車で案内させようとしたのだ。それなのに、話している場所から見えている水車が、まるで認識の盲点のように消失してしまっているのである。そろそろこの現象に何か名前を付けたほうがいいのではないか?

同様の現象があることは、岡山大学で執筆された論文『岡山県の揚水水車—その分布と構造について— 若村国夫 (1984)』にも触れられている。

私はベーハ小屋、稚蚕飼育所、集乳所等についても同じスタンスでより大量に調べているが、他の産業遺産では似た経験がない。ところが水車では今回の旅でも岡山市玉柏で体験したばかりである。なぜ水車についてだけこのような消失現象が発生するのか、実に不思議だ。

今後この現象を「水車失認症候群」と呼ぼうかと思う。

写真

水車はわずかな区間に2つ設置されている。

直径は1mほどで、この旅で見てきた揚水水車と比べると極端に小さい。一人の力で容易に設置、移動することができるだろう。

構造もシンプルで、羽根板に水筒が直接溶接されているのが特徴。

写真

これはもう一方の水車。

ほぼ同じ構造だ。

写真

田んぼ側への導水樋はC型鋼が使われている。木製水車のような風情はないが、シンプルで扱いやすそうな水車であった。

動画

(2003年05月02日訪問)