旧遷喬尋常小学校

近年まで実際に使われていた擬洋風学校。

(岡山県真庭市鍋屋)

次なる目的地、勝山町へ向かって国道を走行中、車窓から木造の学校建築が見えたので立ち寄った。

いわゆる擬洋風の学校建築だ。「擬洋風(ぎようふう)」とは日本の木造建築の技法で洋風建築っぽく建てた建築物をいう。つまり正確に模倣された西洋建築ではなく、日本の大工が創意工夫でそれっぽく作ったものなのである。

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現代に残る擬洋風建築で目を引くのは、明治の一桁年代に地方に建てられたものだ。文明開化の時代とはいえ、地方にはまだ十分に情報がなく、空想力も加わってすばらしい味わいの建築を各地に生み出したのである。

だが、この遷喬尋常小学校は、明治40年に建てられたものだという。それゆえ明治初期の渾沌とした擬洋風ではなく、そこそこに洗練されたネオルネッサンス様式に近いものになっている。

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目を引くのが、中央の屋根に掲げられたオーナメント。

これは帆掛け舟をデザインしたものだ。

ここ久世町は、出雲街道の宿場町であり、旭川の舟運で繁栄した交易の町。こうした立派な学校建築を建てられたのも、高瀬舟が大きく貢献したのだろう。

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中央玄関は二階がホールになっているそうだ。

今回はもう時間外だったのか閉まっていたが、普段は内部を見学できる。

国重文に指定されているが、1990年まで実際に学校として使われていたとのこと。国重文建築は、指定されるときに原初の形に復元され、実際に最後に使われていた時の姿と似ても似つかない改変がされる場合が多いが、この建物はあまり修正されているようには見えない。子どもたちが使っていたときの姿に近いと思われる。

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「尋常小学校」とは、戦前の学校制度で、6歳~11歳の子どもが通う学校だ。現代の6年制の小学校とほぼ同じ。

こうして校庭に立っていると、子どものころの記憶がよみがえってきそう。私が通った小学校も木造の校舎だった。

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裏側から見たところ。

表面重視のデザインなのか裏側はずいぶんシンプルだ。

(2003年04月30日訪問)