七人ミサキ

詳細は不明だが、よくいう祟り神では。

(岡山県津山市上横野)

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上横野地区にあるという水車を探し、何人かに訊ねたのだが場所がわからなかった。

だが町内の観光案内板に看過できない文字を発見。それが「七人岬(しちにんみさき)」だ。これは祟り神とされる「七人ミサキ」ではないのか。

よくいう七人ミサキは四国に伝わる怪談で、恨みを持って死んだ7人の亡霊が生者を取り殺すというもの。亡霊は生者を取り殺すと自分が成仏でき、殺された者は7人の亡霊に加えられるため、永劫に呪いが続くという。

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ミサキに関する民間信仰の形態は非常に多様で一言でに説明することはできない。

もともとは神の力が人の世に及ぶ際、その前兆となる異変があるのを、先触れの意味で「御先」と呼んだのがその始まりだという説がある。そうした人知を超えた事象に対する恐れの気持ちがミサキという言葉に強く結びついて、やがて人に災いをなすナニかをミサキという名称で括っていくようになった。忘れられた神が妖怪になるように。

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岡山県のミサキというと、吉備津神社温羅(うら)のことを丑寅(うしとら)ミサキと呼び、「丑寅ミサキおそろしや」などとその呪力が語られる。また、いわれの不明な塚や古い墓や樹を切ったり石を動かしたりすると祟る場所などをミサキと呼ぶこともあるし、異常死した浮遊霊をミサキと呼ぶこともある。たとえば水死者をミズミサキ、首つりをナワミサキというふうにである。

「七人ミサキ」については、他県同様に呪いが連鎖するとか、恨みを残して死んだ者の呪いが七人を取り殺すまでは止まないなどとも言うようだ。

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そんな不吉なものが観光案内板に書いてあるのがびっくりだ。もっとも地元としては取り立ててオカルト的なものではなく、手を加えてはいけない特別な場所、という程度の意味で紹介しているだけかもしれないが。

案内板に書かれた場所に行ってみた。地図がアバウトなので正確な場所がわからない。人に訊くにも日が落ちた時間帯に、旅行者がおいそれと「七人ミサキはどこですか?」などという言葉を口にするのははばかられる。

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案内板のイラストには灯籠のような感じのものが描かれていて、それに似ているのはこの川辺の石灯籠だった。

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もうひとつ、地図の●の位置に該当すると思われる場所にあったのがこれ。

灯籠の横に文字碑があるので、状況はイラストと異なるが、サオの部分が逓減している感じなどはむしろこちらのほうが近いかもしれない。

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文字碑は「大峯××供養塔」のよう読める。

結局、七人岬と呼ばれるスポットがどこなのか、正確にはわからなかった。

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いずれにしてもきょうはもう時間が遅くなってしまったのでこれまでだ。

もうひとつの水車小屋については、明日出直すことにしよう。

きょうは市内のビジネスホテルを予約済みなので、気持ちがラクだ。

ふだんは日が暮れてきたらその土地で宿を探すことがほとんどなのだが、時には宿が取れないときもある。見知らぬ土地で宿を探しているとすぐに1時間、2時間と経ってしまい、さらに時間が遅くなり、そうなるとモーテルに転がり込むか、近隣の大きな市まで移動しなければならないこともある。それはそれで思い出になるのでよいのだが、きょうのようにボロボロになるまで寺巡りをした日には、さすがにそれはしたくない。

疲れていたので食事する場所をあれこれ探したりもせずに郊外のファミレスで夕食。ホテルに行ってみると歩いて行ける距離にスーパー銭湯があったので、そこで体をほぐし明日へ備えたのだった。

(2003年04月29日訪問)