祐安の揚水水車

岡山で最多の水車がかかる区間ではないか。

(岡山県倉敷市祐安)

ここまで高松市や倉敷市の寺町を散策してきたが、ここからは旅のメインテーマである揚水水車探しが始まる。

基本的には『日本列島現役水車の旅』を参考資料としてるが、この本にはあまり詳細な場所が書かれておらず地名をもとに自分で探すしかない。もっともターゲットとなる揚水水車はそれなりに流れのある用水がなければ設置できず、地図を眺めてだいたいの見当を付けることはできる。

最初に訪れるのは倉敷市の祐安という大字だ。高梁川が先行谷を抜けて岡山平野に出たところに笠井堰という堰があり、ここから倉敷市全体の農地を潤す農業用水が取水されている。祐安はその取水地点のすぐ近くになる。倉敷の美観地区からは車で10分程度の場所だ。

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祐安地区を訪れてがく然となった。

田んぼに水がない、それどころか用水にまだ水が来ていない!

徳島では4月に代かき、5月のGWといえば田植えの真っ盛りである。岡山でも当然田んぼに水があるだろうと思っていたのだがアテが外れた。どうしよう。せっかく岡山まで来て水車を見れずに帰ることになるのか・・・。

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それでも用水水車を設置するためのフレームはすぐに発見できた。

この真ん中の軸受けに水輪(みずわ)が載り、Y字の柱には導水のためのパイプが取り付けられるのであろう。

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このフレームに取り付けると思われる水輪が、田んぼに置いてあった。

こうした水輪は普段は農家の納屋にしまわれていて、シーズンになると川に取り付けられるのだろう。

田んぼに置いてあるということは、近日中に使われるということだけは間違いない。

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仕方ないので、とにかく非稼働であってもすべての水車の設置箇所を見ていこう。

これは水色に塗られていたフレーム。

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これはまた別のフレーム。

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少し下流のほうに歩くと、すでに水輪が取り付けられている箇所があった。

揚水水車はこのように川の中に水輪だけが設置される。用水の水面が田んぼの地表より低い場合に使われ、回転によって水筒で水を汲み上げるしくみだ。

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この水車は組み上げた水の行き先が分かりやすい。

左側の鉄の箱の部分である。

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水受箱のアップ。

水筒で組み上げられた水は樋を通してここに集まる。稼働時には金網が設置され、ゴミを濾過してからパイプを通して田んぼへと導水する。

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パイプは多くの場合、畝や畦や道路を貫通している。

このとき水受箱が路面よりも高い位置にあれば、サイフォンの原理によって、道路よりも高い田んぼに水を入れることもできる。

ここ祐安ではサイフォン形式のものは見かけなかったが。

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揚水水車は、水車の掛け方としては原始的である。川面に直接水受板を当てて水の流れつまり運動エネルギーを主に用いている。

これに対して一般の水車小屋は、川から取水した水を水輪の板の上に落とし、水の重さで回転する。つまり水の位置エネルギーを利用している。

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揚水水車はその原理上、水量が豊かであり、かつ、はっきりとした流れのある場所にしか設置できない。

私がこれまでに見たことがある揚水水車は、用水の取水口から近い場所に多い印象がある。そういう場所は水量が多く、流れの勢いが強いからであろうと思う。

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では用水の下流部、水がよどんでいるような場所ではどうしていたかというと、おそらくかつては「踏み車」といって人間が水車の上に乗って、玉乗りの要領で水輪を回転させる道具が使われたのだろう。

その後はもちろん動力ポンプへと切り替わった。

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この場所のように揚水水車が残った地域になにか条件があるのかは、まだよくわからない。

農家が用水路を利用するには、水利組合に加入し年会費も払うわけだが、おそらく特定の用水の水利組合の規則にこの水車の設置権のようなものが認められているのではないだろうか。

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川の水だけでなく、場所やエネルギーも利用するわけだから、複雑で特別な権利である。

一度地域がこの権利を手放したら、現代社会でこの権利を取り戻すのには途方もない労力が必要になるだろう。

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揚水水車はひとつあれば、たいがい近くにいくつかあるのはそうした水利権の問題があるからだと思われる。

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今度は上流に向かって歩いてみた。この水車は水受け箱のゴミ取りネットがわかりやすい。

こうした水車は水車大工ではなく、持ち主か近所の農家が自身で製造している場合が多い。しかしここではいくつかのパターンがあるので、大工か器用な農家が依頼されて作っているのだろう。

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水車が掛かる水路は南北に2本あるが、水輪を取り付ける基礎は北側の水路に17箇所(うち6箇所は使っていない)、南側の水路に7箇所あった。

岡山県で最も用水水車が集まっている場所ではないか。

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このときはひとつも水車が動いていなかったのだが、この旅の終わり(6日後)に、通ったらすべて動いていた。

そのときに聞いたのだが、この水路は水車を回すため年に3回水草の掃除をするそうだ。その清掃日は土曜、日曜と決まっていて、年3回水路の水を止める。私が訪れたのはたまたまその土日だったのだ。

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このあたりは高梁川が流れた跡で砂地のため水はけはよいのだが、水田にすると水がすぐに抜けてしまう。そのため水車で水を入れ続けなければならないのだそうだ。

帰路のときの様子を動画で紹介しよう。

動画①動画②動画③動画④動画⑤動画⑥動画⑦動画⑧動画⑨

(2003年04月27日訪問)