鶴光路の環濠屋敷

西と南の濠にいまでも水をたたえる。

(群馬県前橋市鶴光路町)

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下川淵村のかつての役場、学校、郵便局などが集まっていた村の中心地にある環濠屋敷であるM邸。

屋敷の南、西、北側にはっきりとした濠が残っている。

敷地に立ち入らずに道から見学できることから、もし初めて環濠屋敷を見学するのであればここを訪れるのがよいだろう。

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屋敷への入口は南側の土橋。

南側の濠は、冬で水が少なくなっているとはいえ、いまも水をたたえている。

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濠の南東の角を北側から見たところ。

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西側の濠を南西角から北方向へ見たところ。

濠の幅は5mくらいはあろうか。かなり立派なものである。

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西側の濠を北側から見たところ。

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一部は埋まってしまっているところもある。

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北西の角。

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濠の内側には土塁がある。

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北東の角から西方向を見たところ。

北側には水はないが、はっきりと濠が確認できる。

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屋敷の南東には、「下川淵村道路元標」「紀念道」と彫られた石碑がある。これは明治元年に岩倉具視が群馬県視察のためこの道を利用するというので、道路を整備したことを記録した石碑だという。

現在、前橋南部の街道は福島橋で利根川を渡河しているが、古くは利根川南岸の玉村八坂神社西の道を北上した場所に渡しがあり、利根川北岸では新堀集落を抜けてまっすぐ北へ進み、前橋南I.C.付近で西に折れていたようだ。そしてこの角で再び北へ曲がり前橋方面に向かっていた。この場所はその当時の主要道の交差点にあたる場所だったのだ。

下川淵地区は、激しく土地改良が進められて田畑の区割りには昔の様子を知る手だてはない。しかし、集落の中の道はほとんど変化しておらず、戦前の地図と符合することができる。その区割りは江戸時代とさほど変わっていないであろうし、おそらくは中世までさかのぼるのではないかと思う。そして環濠屋敷もまた中世までさかのぼるものなのではないか。

前橋で中世から残っているものを見ようとしたら簡単ではない。だが実は下川淵地区の集落の地割りにそれを観察できるのである。

(2014年12月21日訪問)