藩営前橋製糸所跡

「日本で最初」は富岡製糸場ではなかったのだ。

(群馬県前橋市岩神町2丁目)

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「日本で最初の富岡製糸」は、上毛かるたの富岡市の読み札である。富岡製糸場が操業を開始したのは明治5年であった。

実はそれより2年前の明治3年に、日本で最初の器械製糸工場が前橋で操業を開始していた。それが「藩営前橋製糸所」である。したがって、上毛かるたの「日本で最初の富岡製糸」は日本で最初の「官営」製糸場という意味であると補足説明されている。ちょっと苦しい説明であろう。

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前橋製糸所は、前橋藩の速水(はやみ)堅曹(けんそう)という人物が、スイス人技師から学んで創立した。富岡製糸所はフランス式の製糸技術を導入したが、ここ前橋製糸所はイタリー式の製糸器械を導入したという。

初めは現住吉町1丁目の広瀬川のほとりに作られたが、3ヶ月でここ岩神町2丁目の風呂川のほとりに移転した。明治5年の廃藩置県後は県営になり、その後私営の大渡製糸所として明治31年まで操業したという。

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現在、前橋製糸所があったという場所は大きな屋敷になっている。

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明治末まで製糸工場があったとなれば、何らかの遺構が残っていないかと周囲を回ってみた。

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風呂川にはおそらく水車が架けられていたと思うが、礎石などは見当たらない。

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唯一、製糸場時代の建物の可能性があるのが、この大谷石でできた倉庫だ。

乾繭の倉庫だった可能性がある。

2019年現在、この敷地は更地になって、大谷石の倉庫もなくなってしまった。

(2013年01月20日訪問)