大判地の町並み

南牧村の街道筋を思わせる限界集落。

(群馬県高崎市吉井町東谷)

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大判地(だいはんじ)という集落を訪れた。

大沢川の上流部で、谷の行き止まりにある集落だ。ページ右上の地図をクリックしてもらうとわかるが、どん詰まりの山村にしては戸数が多く、どんなところなのか以前から気になっていた場所である。

集落へ続く道は県道から脇道にそれるようになっていた。道は狭くクルマでは通れないので、少し離れたところに駐車して歩いて集落へ入ることにする。

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集落の入口の風景。切妻2階建ての養蚕農家が、道に平側を見せて並んでいる。まるで街道筋の宿場のような景観だ。この道は谷の奥で行き止まりになっているので、往来が多かったはずはなく、こんな場所に宿場町っぽい景観があるのは唐突な感じがする。

これまで、下仁田町、富岡市、甘楽町のあらかたの山間集落を見てきたが、この大判地は特異な景観と言っていいと思う。西上州でいえば、南牧村の奥のほうにこんな風景が多い。

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集落の中を歩いていく。

12月で日が短いとはいえ時刻はまだ午後2時。なのに、集落のあらかたはもう山の日陰になって寒々としている。

1日のうち半日しか日が当らない村で生きていく人々を描いた創作民話「半日村」という絵本を、子供のころに読んだのを思い出す。ここはまさに「半日村」という感じだ。

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集落の中は基本的に一本道。

多くの家屋は川の西岸の斜面にある。そのため、道の右側はずっと石垣が続く。

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町並みの長さは400mくらい。

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地図を見るとたくさんの家屋が記載されているが、空き家が多く、実際に人が住んでいるのは1/3くらいの戸数だった。

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無人になった養蚕農家。

きれいにしてあるので、ときどき元住人が掃除などに来ているのだろう。

2階にカイコや蚕具をあげるためのリフトが取り付けられている。しかし、2階の廻り縁より外側にレールが向いているため、重量物などを受け取るのが難しかったのではないだろうか。

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三階民家があった。

この建物はもう人が住んでいないのだが、どうやら猟師仲間の基地のように使われているようだった。12月は猟期の真っ最中だが、さすがに大晦日近くには出猟しないのだろう。猟犬たちがつながれてしきりに吠えていた。

犬たちをもっと近くで見たかったが、あまりに吠えるため、静かな山村にかなりの騒音となってしまいそうだったのであきらめた。

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私が住んでいた四国では、人口の減少で日常生活ができなくなる集落が多い。そのような集落を「限界集落」という。買物や医療、子育てなどができなくなるのが原因と言われているが、実は、畑が野生動物に荒らされて作物がまったく作れなくなるという理由もある。この大判地はハンターの基地になっているようなので、多少は動物の害が軽減されているかもしれない。

さらに進むと、川の左側の家並が無くなり、家は道の右側だけになる。しかも道の斜度も急になり、石垣の高さも増していく。

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途中にあった、急な石垣の上に建てられた納屋。

思わず「えっ?」となるような位置に床づかが立ててある。

建物の土台のせり出し方からして、角の床づかに関してはあとから補強したのではなく、どうも最初からこのように作られたようだ。

傾斜地で、少しでも効率的に空間を利用しようという工夫だ。懸崖造り(けんがいづくり)の納屋と言っていいかもしれない。

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さらに道を登っていく。集落の奥のほうはすべて空き家だった。集落のはずれに公民館もあるが、使われている様子はない。

住人が少なくなって、会合などは個人宅に集まればすむようになってしまったのだろう。

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行き止まりは墓地になっていた。

多胡村133号墳でも見たような、中空の祠型の墓石がたくさんある。

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かなり立派なものもあった。

石祠型の墓石は、この地方の特徴なのだろうか。どこにでもあるものではないと思う。

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私はこれまで、それなりの数の山村の集落を見てきた。その中には「あぁ、日本にはこういう生活があったんだ」と、ちょっと人生観が変化するような村もいくつもあった。

大判地はそういう村のひとつである。

(2008年12月28日訪問)