小野の塩薬師

小野小町が病気快復祈願したという石塔。

(群馬県富岡市後賀)

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富岡の東端に小野という地名があり、小野小町の伝承があることは、以前に触れたことがある。これから紹介する塩薬師は、その伝説にゆかりの遺跡だ。

場所は、上州福島駅から県道を北上し、塩畑堂橋を渡った北詰めになる。

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お堂は旧道に面していて、現在の県道からは脇道に引っ込んだ場所になる。看板がなければ気付きにくいだろう。

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お堂の手前には、割拝殿のような、山門のような、なんとも形容しにくい建物がある。

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お堂の内部はベンチのようになっている。

奥に、塩薬師の石仏が見える。

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これが塩薬師。

薬師本体は僧形で、基壇にもたくさんの僧形の仏が彫られている。

割拝殿のようなお堂といい、ピラミッド状の基壇といい、独特の雰囲気を持った場所なので、一度訪れたら記憶に残るだろう。

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案内の説明によれば、この石仏はもともと「石薬師」と呼ばれていた。小野小町が京都から故郷の出羽の国へ帰る途中、このあたりで病気になり庵をむすんだ。

あるとき、小町の夢まくらに不動明王が立って、石薬師に千日の願を掛け、堂の近くの冷泉で水垢離せよ、と告げた。小町はそのとおりに千日の修行をしたが、病気は快癒せず、恨めしく思って次のような歌をよんだ。「南無薬師 まづは所願の叶わずば 身より仏の名こそ惜しけれ」

すると、その夜小町の夢に薬師如来が現われ、「むら雨は ただ一時のものぞかし 己がみのがさ ここに脱ぎおけ」と歌を返した。小町が目覚めると、病気は全快していたという。小町はお礼に石薬師に塩を供えて、再び故郷へ向け旅立ったという。「おのがみのがさ」は「蓑笠(みのがさ)」と「()(かさ)」をかけたものだろうか。「瘡」とは疱瘡のことだ。

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お堂の横にはつり橋の跡がある。

昭和23年に掛けられた木造のつり橋で、昭和37年にいまの橋に掛け替えられたそうだ。その間わずかに14年。ずいぶんと寿命の短い橋だった。

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塩畑堂橋の下には、小さな滝がいくつも連なっている。

(2008年09月20日訪問)