新井の猪土手

古図によれば長大な猪土手だったという。

(群馬県榛東村新井)

2011年の2月。群馬県榛東村の博物館の歴史講座で稚蚕飼育所についての講演をすることになり、群馬県に帰省した。私が稚蚕飼育所を主に調べていたのは2007年~2008年ごろで、2011年には次のテーマでもある養蚕農家について調べているところだった。講演にあたっては、これまでに調べたことをまとめたり、資料を作成したりしなければならない。結果として、自分にとっても飼育所巡りにひと区切りをつけることができ、ありがたい体験だったと思う。

その日、講演の前と後に学芸員さんが村内を案内してくれた。これから紹介するのは、それらの物件である。

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最初に連れていってもらったのは、相馬原(そうまがはら)自衛隊駐屯地の北側にある「猪土手」の跡。猪土手とは、山林に住むイノシシとシカを主に防ぐために作られたとされる土塁である。築かれた時期は不明という。

案内板の地図が左図(拡大)。これは『群馬郡桃井郷十三ヶ村猪土手絵図』という古図で、中央を左右に横切っている水色のラインが猪土手だという。図では中央で上下二股に別れていて、上のラインには「猪除け土手の跡」、下のラインには「当時猪除土手」と表記されている。

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古図に書かれている地名は、現在でも残っているので、国土地理院の電子国土地図で、現代の地図にだいたいの位置を書き込んでみる。

緑線は「猪除け土手の跡」、赤線は「当時猪除土手」、赤丸は現在いる場所である。

猪土手のラインが通過している地名は、南側から新井、山子田、長岡、上野田、小倉、上有馬、湯之上(=現在の御幸田)、石原、渋川、金井である。群馬県の地理に明るい人がみたら、驚かずにはいられないだろう。これは榛名町から吾妻川にかけて、総延長10 km 以上の規模の土木遺構であり、榛名山の東麓を完全に囲む規模なのである。

それまで私は「群馬県にはイノシシは生息していなかったので猪垣もない」と思い込んでいた。以前に山村で聞き取りをしたときにも「イノシシは脚の高さよりも雪が積るところでは越冬できず、群馬県では埼玉県境の山地にしかいない」と聞いていた。その生態が事実かどうかは未確認だが、少なくとも群馬県ではいったんイノシシが絶滅したのは確かだと思う。現在、群馬県各地で見られるイノシシは1990年代ごろから新しく進出してきたものなのだ。

このような大規模な猪土手があるということは、江戸時代かそれ以前にはイノシシが広く生息していたのかもしれない。

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さて肝心の遺構だが、この写真のようなものである。

率直に言って、かなりわかりにくい物件だ。ここに残っている長さは30mくらいだろうか。

私はこれまで、10ヶ所以上の猪垣を見てきたが、これはさすがに文化財の案内板がなければ、気付かないと思う。

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ややわかりやすく写したところ。

この案内板の下がすこし盛り上がっているのがわかるだろうか。

もともとは、この土塁は高さが 2m ほどはあったという。2m もあればイノシシは充分に防ぐことができただろう。シカを防ぐには 2m ではまったく不足なので、想像だが、土塁の上にさらに竹のバリケードなどを立ててシカを防いでいたのではないか。

(2012年02月12日訪問)