別に表面が摩滅しても信仰的な価値が変わるわけではないと思うが、国重文なら耐火建築の宝物館にうやうやしく祀られて、市指定なら無住の辻堂に鍵もかけずに置かれるのである。
同じ木造構造物でも建築物は、創建当時の木材がごく一部にしか残っていなくて、歴年の改築でまったく別の外見になっていても、文化財に指定される場合がある。そして修復と称して99%の部材が後補のものと置き換わって、想像される創建時の形に造り替えられたあとでも、国重文だ国宝だと皆がありがたがって鑑賞するという現実がある。
そう考えると建築物よりも仏像のほうが、本当に古いものを目の当たりにすることができるという点で面白いのかもしれない。
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