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小千谷市から大和町に移動。大和町といってもあまりなじみがないが、わかりやすく言えば「浦佐(うらさ)」のことだ。新幹線浦佐駅は大和町の浦佐という字にあり、あたりは街道に沿った小さな商店街になっている。その商店街の中ほどに普光寺がある。
通称、「浦佐毘沙門堂」と呼ばれる寺だ。
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三月に行われる裸祭りが有名。巨大なローソクに火を灯した毘沙門堂内で裸の男たちが福札を奪い合うというもの。
参道の土産物屋には色とりどりのきれいな和蝋燭が売られていた。
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そして三門。1階2階とも三手先で唐破風のある楼門だ。これはもしかして‥‥と思い、案内板を見ると、案の定「日光東照宮の陽明門を模した門」だそうだ。
最近、案内板を見なくても“陽明門を模した門”というヤツがわかるようになってきた。
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陽明門と言う割りに、中の金剛力像は素朴そのもの。
そもそもこの腰に巻いた腰ミノはいったい何なのだ?
「力士」という語感だけで想像で作ったんじゃないかと思ってしまう。
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門をくぐると回廊が続いている。 |
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回廊の中には巨大なローソクの模型が並んでいる。
そして天井にはなにやら扁額のようなものが。絵馬堂も兼ねている回廊だ。
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回廊は毘沙門堂の正面まで続いている。 |
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回廊の途中には聖徳太子堂という堂がある。この聖徳太子堂はかつて三門だった建物を仏堂に再利用したものではないか。 |
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聖徳太子堂を横から見たところ。この角度からみるとどう見ても八脚門である。 |
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回廊は毘沙門堂の先まで延びていて、突き当りには不動像があり、水場になっている。
ここで裸祭りの男たちが水垢離をとるのか。
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毘沙門堂。
正面5間の堂だ。軒が高く、正面に大きく張り出した唐破風向拝が目立つ。
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毘沙門堂の背後にはさらに回廊があって、途中の経蔵を経て本堂まで続いている。 |
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本堂。寄棟屋で、正面9間。
この本堂のような過剰なまでに重厚なトタン葺きは、雪深い土地の寺の特徴である。新潟方面ではこういう屋根をよく見かける。もと茅葺きであったものをトタン葺きにするとき、萱を刈り込んだカーブをそのままトタン板で再現するとこうなるのだろう。
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鎮守社の白山社。やはり屋根は重厚な形状。 |
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三門を入った右側にあった鐘堂。アンバランスなまでに巨大な切妻の屋根を載せている。
妻飾りには巨大な蟇股が。
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庫裏。やはり新潟や山形などでよく見るタイプの造りだ。
境内にはほかに観音堂。

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